ゲームが心の健康を良くする理由
どうも、職場の疲れを毎日のエイム練習で癒している僕です。
前回書いたように、コロナ禍の来客減少で売上が前年の7割前後に落ち込んでいた勤務先もGoToキャンペーン様サマで一時期は9割弱にまで回復しました。
外国人観光客がほとんど戻ってきていないインバウンドの惨状を踏まえると、10月、11月の国内需要はおよそ例年並みだったといえそうです。
もちろん先月半ばからの感染拡大で先行きはかなり怪しいですが、一般消費者向けのサーヴィスに従事している方々は消費傾向の変化への対応におのおの苦労を抱えていることでしょう。
僕の職場の場合、本当に辛い想いをした最大の要因はコロナ禍で極限にまで絞った人員配置で秋の需要回復を乗り切ろうとしたことです。
お店の数字は観ていないのでその経営判断が正しいと信じますが、週末に偏った客足の伸びとそれにともなう週明けの納品量のエグさは職場の深夜勤務者に残業ありきの働き方を強い、休憩中もレジ対応に追われ(ちなみに僕はなけなしの食事休憩中にクレーム客から電話越しで延々と怒鳴られ続けた夜のことを未だに根にもっています)、とにかく息をつく暇が今もありません。
また、コンビニ業界はその社会的イメージの低さから慢性的な人材不足に喘いでおり、雇用に関して選り好みが事実上できない状態にあります――そのひとつの闇がアジア系専門学校留学生という厄介な同僚なのは以前書いたとおり。
そのため、人材として「1」に数えられない従業員もその余剰負担分をほかのスタッフとうまく分けあいながら騙し騙し使わざるをえないのですが、コロナ禍の限界シフトではその負担をたったひとりの同日出勤者がもろに背負うことになり、技能的な歪みが人員の冗長性で緩和されることなく直接主力スタッフにのしかかっています。
経験上、コンビニ夜勤の仕事でいちばん大変な時期は「ウン百円以上の購入で商品引換券の当たるくじが引ける」なんちゃらフェア/キャンペーンの前後で、それは通常の1.5倍はレジ打ちに時間がかかることとフェア用の在庫処分的な商品も一定期間仕入れるため品出しの量と種類が多いからですが、今度の限界シフトでの乗り切りの作業量はその比では全くなく終わりもまた見えません。
そんなわけで、正社員雇用を嫌ったからこそコンビニで働く僕としては不意打ちのように仕事に押し潰される日々が続き、書きかけの原稿を3本も塩漬けにし、純粋に楽しむためのゲームとして『エイペックス・レジェンド』をプレイしていたのです。
この記事を今読んでいるあなたにも現実の辛さをゲームが救った経験があることでしょう。
持論ですが、デジタルゲームほど精神衛生を健康に保つのに良いものはありません。
というのも、ルールが明確で、課題と報酬がわかりやすく、頭を使ってプレイすれば巧くなる過程を実感とともに着実に踏んでいけるからです――対人戦のゲームでは暴言厨やチーター、煽り行為、運要素などのストレス因子も存在しますが、まあ、多少はね?
思えば、管理職を任されていた前職を激務ゆえに無理やり辞めたあと、使い捨てられたコンドームのような虚無感に耐えられたのはひとえに『オーバーウォッチ』にハマれたからでしょう。
たとえば、エイムが悪いとひと口にいっても、反応速度が遅いのか、フリックショットで初弾を外すのか、敵の動きをトラックするのが苦手なのか、武器毎のリコイルコントロールが甘いのか、レレレ撃ちを当てられないのか、遮蔽物の使い方が甘いのかなど、問題を細かく分ければさまざまな観点と改善のアプローチが考えられます。
深夜勤務者の負担軽減の要望を出しても焼け石に水のような補強が客足の引きはじめた1ヶ月後にようやく入ったり、ひとを増やせないのならと些末な業務内容の簡略化を提案しても「意識の問題」として退けられたりしたことを思うと、デジタルゲームをプレイする魅力とは、問題発見と対策の提案、その効果の測定が上達のプロセスのもとではっきりした手応えとともに自分自身で実施できることだといえます。
つまり、現実の問題解決とは違い、自己完結した遊びだからこそトライアンドエラーの試行と改善のプロセスを自分の気持ちひとつでまわすことができ、課題の難易度と報酬の設定でそれが楽しい/気持ちが良いと感じられるようにデザインされているのです。
また、ゲームのなかの世界が現実の社会と切り離されているからこそリスクを無視して思い付きを好きに試せるという構造的な安全性を備えていることも無視できません。
会社にはあなたの試行錯誤を阻む怠惰な同僚や嫉妬心の強い先輩社員、失敗を否定的に評価する上司がうじゃうじゃいても、ゲームのなかにはひとりもいませんからね。
要するに、デジタルゲームはただの現実逃避ではなく、幾多の問題解決を通して上達のプロセスを実感/報酬とともに歩むことで自己効力感を高められ、無力感や徒労感を砂のように噛み締めているひとにはある種の治療的効果がセラピーのように期待できるのです。
もっとも、僕自身は以前書いたように3年間の高校野球に失敗してその上達のプロセスを過去に歩めなかった敗者なので、スポーツ色の濃い対人戦ゲームを巧くなることに過去の精算めいた暗い情熱が燻っていることは否めないのですが。
「アイツ、試合にも出ていないくせに泣き過ぎじゃね?気持ち悪いんだけど」
僕がキレイなユニフォームのまま野球部のだれよりも長く、強く、大きな声で泣き続けたのは2年半もの時間を棒に振ったことへの後悔と耐え難い虚無感からだった。