インバウンド需要の消えた飽和市場
どうも、某コンビニの深夜アルバイターとして絶賛ワーキングプア中の僕です。
昨今の新型コロナ禍でいろいろな職のひとたちの生活状況が激変しているのだけど、コンビニ店員やフリーターはやはり社会的地位が低かったりイメージが悪かったりするせいかその実情が当事者視点で語られることがほとんどないように思う。
まあ、文章技術のあるひとがそもそも多くないし、世間体のあまり良くないプライバシーを晒してまで公共的に価値のあることを書こうとするほどアホなわけでもないのだろう。
でも、今度のコロナ禍でコンビニ店員やフリーターが何の厄災にも見舞われず、何も想っていないなんてことはありえなくて。
そこで、普段から物を書いて公衆に恥を晒している僕の出番というわけ。
ちなみに、僕が非正規雇用で働いている理由についてはこちらの記事を。
非正規雇用のフリーターという働き方をあえて僕が選んでいる理由
タイの外資系企業で活躍する友だち夫婦を迎えた雑談動画も終わりを迎えようとしている。 全4回、打ち合わせも数えれば約10時間もの四方山話は大変に刺激的で、日本社会を対象化するだけでなく自分の生き方も考えさせられた。 今回は、先日アップした日泰の働き方比較の動画を受けて、僕が避けていながらもいずれは書かねばと思っていたネタを放出したい。
また、前回の続きとして書いていくので、アジア系外国人留学生と一緒に働くのがマジで辛いというこちらの記事をまずお読みいただけると幸いです。
深夜のコンビニで外国人留学生と一緒に働くのはホンマ辛い
最近、コンビニバイトで働く外国人留学生に関する記事が Twitter で時折目にふれる。 留学生視点でコンビニバイトがなぜ魅力的に映るかを解説したものや日本の受け容れ体制の不備にまで話を拡げたもの、未来の日本社会の縮図をみたものなど内容は様々だが、ライターの多くは彼ら彼女らと一緒に働いた経験はないだろうし、ちまたで話題の技能実習生の過酷な労働環境などからコンプラ的に外国人労働者を悪くは書けないだろう。
さて、アジア系外国人留学生はとにかく長続きしない。
専門学校に籍を置いているならどんなに長くても勤続2年は越えられず、また、週当たりの労働時間が制限されている留学生にとっては深夜勤務は理想的な働きかたではあるものの、体力的にも仕事内容的にも厳しい場合がある(少なくとも僕の職場はそう)ので早々とリタイアしがちだ。
実際、前回紹介したハンバーガーの温めを不衛生にも素手で掴んでレンチンした留学生はほかにも数々の伝説を残した後に「痛風に罹った」という言葉を遺して消息を断った。
消息を断つとはつまり、出勤日に来ず、携帯電話に何度連絡してもでないということ。
職場の管理職はその罹患の報告(?)も言葉として聞いただけだそうなので本当に痛風になったかどうかも永遠の謎のまま。
そうして前回記事の頃から季節はめぐり、陽が暖かくなり、当時いた留学生はほぼ全員退職し、待望の4年制大学に籍をおく有能な中国人留学生がやってきて、アジア系の専門学校生というのがやはり問題だったねと同僚と確認しあっていた頃に直撃したのが今度のコロナショック。
僕の職場にも如実に影響が出始めたのはたしか3月半ば頃だったと思う。
繁華街のお店は売上4割減もめずらしくないがウチは2、3割減で踏み留まっているとそのときは店長から聞いたけども、4月末にはさらに減って4割弱のマイナス売上を記録しているそうだ。
緊急事態宣言の解除をもとめる声が日増しに高まっている今の世論を鑑みると、現状の客足と売上の下がりが今回の底だろうとは思うけども、コロナ以前は海外からの外国人観光客の消費で売上の1、2割程度は支えられていたことを踏まえれば、平時にもどるのは、あるいは戻れるとしたら少なくとも数年先だろうと個人的には考えている。
ちなみに、オーナーの手許に残るお金というのも聞いたが、まあ、時給換算すれば自店の従業員にも劣る偲びない額だ。
とてもじゃないがお店を経営し続け、家族を養っていけるような額じゃない。
僕自身のお給料はというと手取り15万円前後から12万円前後に下がった――来月以降はさらにもう少し減るかもしれないが。
オーナーは従業員の時給は最後まで下げないと明言してくれたが、客数と売上の減ったお店の人件費を削減するために時間当たりのスタッフ数を各時間帯で減らしたため、限りあるシフトをみなで分けあう痛み分けの格好になった形だ。
まあ、世界的流行の兆しがすでにあった3月上旬に僕が散々地雷だと進言してきたアジア系外国人の専門学校生を「不要不急」にも関わらず採用したり、ほかのシフト帯では現状の客数に見あった時間短縮が巧くはかどらなかったりと、人件費削減のメスはもっと深くまで入れられるようではあるけども。
ちなみに、月収12万円という金額は僕の低い生活水準でもかなりギリギリな金額だ。
選択の余地もない国民年金に大学院で借りた無利子奨学金の返済、それから6月に再開される国民健康保険の支払いを経て手許に残るお金を考えると、僕がどういう暮らしをしているか想像できると思う――それでも僕がそれなりに幸せに生きていることは強調しておきたい。
大多数のひとがそうだろうけども、僕が今いちばんしんどいことは先の見通しが全くたたないことだ。
申請の手続きも未だはじまらない一律給付金も、この先の見えなさの前では焼け石に水としか映らないのが今生活に喘いでいるひとの実感だろう。
収入の増減があろうがなかろうが、徴収されるものは滞りなくとられていくし、払わざるをえないものはキチンと払っていかなくてはならない。
そのため、相応の貯蓄や安定した収入源をいまだもっているひとでない限り、財布の紐を過度にかたく締めて生活費を抑えていかざるをえないのが現状で、当然、その煽りを直接的に受けるのはさまざまな業種の会社であり事業主であり従業員とその家族だ。
コンビニという業種は幸か不幸かインフラに近い役割があり、どんなときでも一定の需要は見込めるため今日明日にお店を畳むというものではないが、土地柄ある、外国人観光客、国内観光客、働くひとのお昼や出退勤時の買い物という消費機会の損失を、オーナーの実入りを減らすことで緩和しているのはほとんど茹で蛙の我慢比べ状態といえる。
営業自粛要請下でもお店を開けていられるからといってコンビニ経営もその従業員の生活も今安全なわけではない、まったくもって。
適切な文献や資料にあたっているわけではないのであくまで僕の受ける印象であり直観でしかないが、今度の新型コロナウイルスによる世界的パンデミックは100年に1度の珍しいものではないし、また、現状から透けてみえる深刻な打撃の底から今後数年をかけてキレイに快復できるようにも思えない。
たしかに約1世紀前のスペイン風邪の頃より公衆衛生も医療体制も飛躍的に進歩してきたが、同時に、あるいはそれ以上に、人間と都市の流動性と接続性と密集性もまた各地域の経済成長とともに約半世紀で急激に高まったため、今度の新型コロナのような厄介なウイルス、つまり、致死率がさほど高くなく、無症状者や軽症者が一定数おり、感染から発症までの時間が長いため、治療なり対策なりが感染拡大に追いつかない未知のウイルスへの脆弱性は世界全体のネットワークに依然と残り続け、場合によっては増大もするだろう。
ウイルスとの共生と言うは易しいが、それはある種の経済活動と技術革新及びその普及の抑制も意味するため、仮にほかの地域で変異したコロナウイルス株の第3波、第4波を嫌うということで足並みを揃えるとしても、経済の回復は遅々とし、今の業態やビジネスモデルを続けるならそこからの成長はおろか回復自体が見込めない分野も当然出てくるはずだ。
たとえば、コンビニ市場はとうに飽和状態を起こしていると指摘されて久しいが、その数少ない伸び代として近年注目されて慌ただしく対応を迫られていたのが、僕の職場の売上の1、2割を支え、そして、当面はまるで回復を見込めないインバウンド需要だった。
オーナーと副店長は、来年の東京オリンピックでお客さんもドカーン!と来るやろといっていたが、果たしてどうなることやら。
イベントといえば、先月末にフォートナイトが米国の大人気ラッパー、トラヴィス・スコットの10分間の幻想的なバーチャルライブをゲーム内イベントとして開催し、初日の同時接続数1230万人、累計2700万人のプレイヤーを集客するに成功した。
日本国内では香川県がほかの自治体に先んじてネット・ゲーム規制条例を施行するなど風当たりの厳しいゲーム業界だが、今度の新型コロナ禍でWHOが蟄居中のゲームプレイを手のひらがえしで薦めるなどますます脚光を浴びている成長産業でもある。
しかし、トラヴィス・スコットのライブはたしかにインゲームライブという新しい表現の可能性を感じさせるもので、もしこれがVR体験できたらと願わずにはいられない独特な没入感を期待させるものだったが、フィジカルなライブ体験とはまったく別物であり、良い意味でも悪い意味でも未開拓の残念さが印象深い出来だった。
ソーシャルディスタンスを守りながらも歌い踊れる成長の未来はまだまだ遠いように想う。