ゲームレビューの営みは人間の不思議なエネルギーで駆動する。 遊ぶのが好きなら読み書きの時間で実際にプレイした方が楽しめるし、感触を知りたいだけならゲーム配信や実況動画の方が役立つ。発売前後にメディアが一斉公開するものならまだしも、数ヶ月、数年、数十年経った作品でも読み書きされるのは人間がつねに共感を欲し、そこに深い意味をもとめざるをえないからだ。
連載批評3:趣味も語らう者がいなければ
人間とはつくづく孤独な生き物だと思う。 先日配信された NETFLIX ドラマ『ダーマー』では、アメリカ史上最も酸鼻をきわめた猟奇連続殺人犯であるジェフリー・ダーマーの深い心の孤独がまざまざと描かれている。
批評論:専門用語や理論をなぜ使ってはいけないか
Twitter には定期的に話題になり、賛否の石つぶてが渦巻いてはたがいの陣営の境界線だけが明確になって消えるトピックがある。 専門用語を使うな論もそのひとつだ。 たとえばこんな感じに。
批評連載1:ゲーム文化の担い手はプレイヤーを越えている
近年、ゲーム配信文化の隆盛とともに「ゲーマー」の裾野が急速にひろがってきた。 「ゲーマー」とわざわざ括弧付きで書いたのは配信文化の担い手がかならずしも実際にプレイする者にかぎらず、配信者や実況者のプレイングを観るのが好きな者、いわゆる動画視聴勢も含むからだ。