批評論・世間のみんな違ってみんな良いがジョーカー論法に繋がる危険性

批評とは対象の内的な価値を評することだ。 解釈や紹介、解説といった意味的に隣接する言葉と比較すればそうとしかいいようがないが、以前別の記事や動画で書いたように今の日本社会では批評やレビューと銘打ちながらも似て非なるものが流通している。

非正規雇用のフリーターという働き方をあえて僕が選んでいる理由

タイの外資系企業で活躍する友だち夫婦を迎えた雑談動画も終わりを迎えようとしている。 全4回、打ち合わせも数えれば約10時間もの四方山話は大変に刺激的で、日本社会を対象化するだけでなく自分の生き方も考えさせられた。 今回は、先日アップした日泰の働き方比較の動画を受けて、僕が避けていながらもいずれは書かねばと思っていたネタを放出したい。

批判の作法、細川侑也プロの炎上と津田大介「表現の不自由展・その後」から考える

あいちトリエンナーレ2019の企画展『表現の不自由・その後』が中止に追い込まれ、名古屋市長や愛知県知事も巻き込んだきな臭い雰囲気を醸してきたが、マジック界隈でも批評家にはちょっと無視できないプチ炎上事件が起きていた。

グーグル検索は危険だ、ウェブの偏った情報を泳ぐ上級者向け検索テクニック

Google 検索は危険だ。 ウェブの情報は真偽不明で、正確にはその情報の信憑性を担保する責任ある主体が明示されてなく、一見親切そうにみえても実は広告だったり企業案件だったりフェイクニュースや偏向記事だったりする。

剣神社、批評の基本的な知性を霊域論から考える

前回の記事では、霊域が自然と人間の力線が交わる特殊な場であり、近代以降、懐古趣味的なロマンティシズムに覆われた自然と人間の関係を問いなおすあたらしい概念だと、新熊野神社という観阿弥・世阿弥とゆかりある神社を例に書いた。

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