スポーツを越えた罵り合いの克服
誰かが猛烈に怒鳴られていたり、しょうもない言い合いをしている様子というのは、じつに面白い見世物です。ただ、自分が怒鳴られたり、言い争いに巻き込まれるとなると、事態は一転、憂鬱で腹立たしいものに変わってしまうのではないでしょうか。
この不思議な反転の謎を解明できれば、罵り合いの鑑賞をより楽しめるようになり、不幸にも自分が罵られた場合には、罵られることによって胸に立ちこめる暗雲を、ただちに晴らすことができるようになるかもしれません。仕掛けの分かった奇術が、どこか愚かで滑稽に見えるようになるのと同じです。
私はこの取り組みが、他人の不幸は蜜の味どころではなく、自分の不幸にも蜜の味わいを、という、すこぶるエコロジカルなものになると期待しています。
つまり、この先の文章では、「嫌な上司に不条理に罵られたとき、どうやって立ち直るか」とか「妙に突っかかってくる頭の悪いやつと口論になったとき、いかにしてその不毛さを乗り越えるか」といった、じつに啓発的で分かりやすく猿にも読めて誰もが人生の指針にしたいと切望するような、有益な情報が取り上げられるはずです。
ところで、成熟した社会において面白い、と思えるものはたいてい商品化されています。高級きのこを探り当てる豚のように、金の匂いを嗅ぎつける人間であふれる社会においては、発見されずにいる方が難しいのでしょう。つまり、罵り合いのショービジネス化も当然おこなわれています。
『フリースタイルダンジョン』という、テレビ朝日で毎週水曜1時26分から放送されている番組をご存知でしょうか? 私は大の大人が罵り合うこの番組が大好きなのです。
フリースタイルダンジョンとは、ラッパー同士の罵り合いの現場をテレビで観戦することのできる、野次馬精神のくすぐられる番組です。今回は、番組の中でおそらく最も高度なやりとりがおこなわれた一つのバトルを取り上げ、罵り合いの構造について具体的に考えていこうと思います。
対戦カードを紹介します。
R-指定:UMBというフリースタイルラップバトルの全国大会3連覇を成し遂げた名実ともに最強のラッパー。バトル以外にも「Creepy Nuts」というヒップホップ・ユニットとしても活動中。
呂布カルマ:R-指定によって一度完成されたと思われたバトルシーンに対し、「言葉の重み」なるアンチテーゼをひっさげて現れた、強烈な個性を放つラッパー。名古屋を拠点とするヒップホップ・レーベル「JET CITY PEOPLE」代表。
バトルはターン制、1ラウンドにつき、それぞれ2回ターンがまわってきます。ラウンドを2つ先取した方が勝利となります。
呂布カルマ
前に来たとき落としてったもの拾うチャンスがまたやって来た
お前もう二度と来ないって言ったよな 絶対来ませんって言ったよな
なのにすぐやって来たお前の絶対って何? これは接待だぜ受けて帰れ
言葉が軽いやつのラップじゃ上がらない理由 ここで明らかにする
実は、両者は今回が初めてのバトルではありません。UMB本戦とフリースタイルダンジョンにおいて、すでに二度バトルしていて、今回は三度目のバトルでした。呂布カルマはどちらのバトルでもR-指定に敗北しているため、「前に来たとき落としてったもの」というのは、その敗北を意味していると思われます。そして続く文句で、これがリベンジマッチであることをまず宣言するのです。これは非常に有効な方法で、このバトルの背景を端的に説明することにより、野次馬たちをぐっと引き込むことができます。続く追及について、実際に「二度と来ない」というやりとりが両者のあいだで交わされたのか定かではありませんが、「絶対」と「接待」で軽やかに韻を踏みながら、「二度と来ない」という約束を破ったR-指定を「言葉が軽い」と罵ります。
R-指定
前のバトルで全部言葉が自分にブーメランで返ってきた人がよう言うてるわ
絶対戻らないって言ったっけな?
いや戻る戻らないの話じゃなくておまえらが不甲斐ないからケツを拭きに来てやったって何回言ったら分かんだおい
この間白旗振った人っすよね 恥ずかしい
呂布カルマの「言葉が軽い」という指摘に、R-指定は直ちに「ブーメラン」という表現でやりかえし、続いて「絶対戻らないって言ったっけな?」というおとぼけを発動。そのまま話題を少しずらします。(私見では、あれぇ、そんなこと言ったっけぇ? と言う人は、心当たりがあった上で知らんぷりしてる場合が多いように思いますが、しかし、本当のことは当人しか知り得ません)「おまえらが不甲斐ないから」というのは、少し説明が必要なのですが、要するに自分は来たくて来たのではなく、番組側にオファーされて仕方なく来たのだ、という意味です。ここでR-指定は、暗に自分が相手よりも立場が上であるとほのめかしています。また、最後には前回の自身の勝利を持ち出し、相手の傷口に塩を塗っていく徹底ぶりです。
呂布カルマ
めっちゃ上手いんやけどな 全然格好良くないのはなんでやろな
お前は何にも悪くない いやでも格好悪いから悪いのか 結局そういうことだ
お前のマネする大阪の後輩が軒並みクソダセェ理由
それはお前に害があるだけだろ ここで殺害予告 R-指定 死ね
次に呂布カルマは、なかなか嫌味な攻撃を仕掛けます。まず「めっちゃ上手いんやけどな」と、R-指定のラップスキルの高さを評価するのですが、しかし、すぐさま「全然かっこ良くないのはなんでやろな」と疑問形でけなします。これは褒めて落とすという古典的なやりくちですね。続く文句も、要は同じことの繰り返しで、二回繰り返すところに強い気持ちを感じます。「お前のマネする後輩が軒並みクソダセェ理由」という部分は、豪快ななで切りです。褒めるところからスタートしたにもかかわらず、最後にはヒップホップシーンをだめにする張本人、害そのものであるとみなし、「殺害予告」まで出してしまう、なんとも急転直下の攻撃といえます。
R-指定
ハイOK お前のマネしてる若手も多いけどな
なんか自分がアーティストか芸術家やと勘違いしてる
俺達はどこまでいってもただのラッパー 分かってんのか Mother Fucker
俺のマネどっちでもいいか No more money もう噛んでも大丈夫だぜお前ぐらいの相手
だって一回ボコボコにしちゃってるからなぁ
そんなジェットコースターばりの攻撃を受けながら、R-指定は「ハイOK」と鋼の心臓ぶりをみせます。呂布カルマが「格好悪い」とか「ダセェ」と言いながら、具体的な部分を指摘できなかったのを見逃さず、「自分がアーティストか芸術家やと勘違いしてる」と呂布カルマのスタイルを形容し、そしてこれを攻撃としています。この指摘が攻撃となる点に、R-指定の考えるラッパー像があらわれているのではないでしょうか。続く「もう噛んでも大丈夫だぜ」というのは、文章では伝わりませんが、R-指定は実際に噛んでます。しかし、攻撃の手は緩めません。噛んだことを余裕の表れであるとして、「一回ボコボコにしちゃってるからなぁ」と、改めて、丹念に、呂布カルマの傷口に塩を塗っていきます。
この勝負は僅差で呂布カルマの勝利でした。ちなみに、勝負の評価基準として、基本的にはより会場を盛り上げた方が勝者となるので、極端な話をすれば、観客を全員身内でそろえたラッパーは無敵です。ただ、このことについては、あとで言及することにして、二人のバトルに戻りましょう。
紙幅の関係で割愛しますが、続くラウンド2はR-指定が勝利します。
これで1対1となり、勝負はラウンド3にもつれ込みます。デュースはないので、このラウンドの勝者が、バトルの勝者となります。
呂布カルマ
前回のお前の勝ち方と俺の負け方と話題になったのはどっち?
それは生き方の差だろ 俺の肩に乗ったもんの重み今なら分かるぜ
お前あん時のキレがねえ フラフラフラフラ遊んでっからそれは仕方ねぇ
Rockとは名ばかりのクソみてぇなロックフェスでやる音楽ばっかりやってんだもんなお前
前回の敗北についてねちねちやられていた呂布カルマでしたが、これまで一度も自身の敗北に言及してきませんでした。やはり気にしているのかな? と野次馬たちに思わせていたのですが、「前回のお前の勝ち方と俺の負け方と話題になったのはどっち?」と投げかけ、「それは生き方の差だろ」とバトルには負けているのに、スタンスや人格性では負けていないかのような、見事な開き直りをみせます。そして、「フラフラフラフラ遊んでっからそれは仕方ねぇ」と、R-指定のラッパーとしてのスキルではなく、スタンスを攻撃していきます。
R-指定
『本物のラッパーは場所を選ばねぇ』みたいな事お前言ってなかったっけ?
これこれ こいつの悪いとこ 全部自分の言葉返って来てるからさっきから
お前オーストラリア行ってお前ブーメラン振り回してんのかカンガルーみたく飛び跳ねながら考えろよってMOTOYのライムも出てくるわ
しょうもない しかもな年下に親って言うな恥ずかしいな ボケが
呂布カルマのスタンス攻撃に対して、R-指定は呂布カルマの過去の発言を持ち出します。たしかに「本物のラッパーは場所を選ばねぇ」と言う発言と、「クソみてぇなロックフェス」でばかりラップしているからダメ、という発言は矛盾しているようです。「クソみてぇなロックフェス」でラップしているからといって、そのラッパーが偽物である理由にはなりません。さらに、ラウンド1に続いて「ブーメラン」という言葉を持ち出しますが、言葉の重みや説得力を武器にする相手に対して、その矛盾を指摘するという方法の寓意として、「ブーメラン」という語は最適と言えます。そのあとの「年下に親って言うな恥ずかしいなボケが」というのは、割愛したラウンド2における呂布カルマの「いつだって子どもは親を超えていくもんだ」という、自身の出自を明らかにする感動的な発言を一蹴するものとなっています。
呂布カルマ
違うね ホンモンのラッパー立つ場所を選ばない そこでラップすればって話だ
お前がやってんのは媚びへつらった Rock もどきみたいなのと変わらねぇ
俺はそれをヒップホップって誰も認めねぇ あれがヒップホップだったら俺はとっくに辞めてる
ブーメランは確実にお前の首を切り裂いて俺の手元に戻ってくる
ここでは、スタンスの問題が再度持ち上がります。R-指定は、ラップする場所について批判する呂布カルマを、自己矛盾に陥っているとして揶揄しました。そのことについて呂布カルマは「くそみてぇなロックフェス」という場所を批判しているのではなく、「Rockもどき」のラップをしているR-指定を批判しているのだ、と訂正します。続く「ブーメランは確実にお前の首を切り裂いて俺の手元に戻ってくる」という言葉は一見、これまでの文脈から離れているように思えます。しかしこの言葉遊びは結果として、R-指定が使っていた「ブーメラン」という表現を、逆の意味に上書きする形となりました。ブーメランブーメラン状態です。
R-指定
だからべつにお前に認めてもらうためにヒップホップやっとんちゃうねんボケが
なぁ サイファーいつまでも梅田でやってる俺が恥ずかしいか?
てかさ 聴くけど格好悪いのってあかんかったっけ? ダサいのってあかんかったっけ?
それ上回るくらい俺ラップ好っきゃねん
大人が上がらんでもかまわんガキの茶番で俺が No.1
R-指定の「お前に認めてもらうためにヒップホップやっとんちゃうねん」というのはまさにその通りだと思います。相手の攻撃をさばいて、話題をずらすのが上手いR-指定ですが、ここでは正面から、自身のヒップホップ観について語ります。「サイファー」というのは、複数人のラッパーが即興でラップをし合う一種の遊びで、バトルがラッパー同士の罵り合いであるとすれば、サイファーは近況報告のようなものと言えます。R-指定は自身のスキルを、この「梅田サイファー」で培ったと、たびたび公言してます。また、「大人が上がらんでもかまわんガキの茶番で俺が No.1」というのは、「中学12年生」という楽曲のあるR-指定だからこその表現といえるでしょう。
勝負は僅差で呂布カルマのリベンジマッチ成功となりました。
お気づきかもしれませんが、両者とも、基本的には屁理屈の空中戦です。言い負かしてるように見えることが重要なのであり、たとえば、呂布カルマのいう「Rock もどき」のヒップホップを良しとしている立場、つまりそのような「Rock」もどきのヒップホップに愛着を持っている場合に、じつは対立は生じていません。異なるスタンスが並立しているだけなのです。というのも、ほんらい対立とは、対極にある命題同士で成立するからです。
すると、フリースタイルバトルには、二つの方向性が見えてくるのではないでしょうか。一つは、スタンスについて罵る方向。別の言い方をすれば、人間性や価値観を罵る方向です。これは先述したように、揚げ足の取り合いであり、論理もへったくれもありません。もう一つは、音楽的なスキルの差を見せつける方向。今回紹介したバトルでは、この方向性はあまり見られませんでしたが、これに関しては、スポーツにおける勝敗の関係性と比較すると分かりやすいかもしれません。スポーツ選手がよりどころとするのは自らの技術のみであり、対戦相手の人格を攻撃して弱らせ、最終的な勝利を得ようとするスポーツ選手を私は見たことがりません。(あるいは、見えないところでおこなわれているのかもしれません。)
では次に、冒頭であげた関心に従って、フリースタイルバトルにおける勝敗について考えてみたいと思います。
フリースタイルバトルには、勝敗についての具体的な基準が存在しません。そのため、先述したように、観客を身内で固めれば優勝します。これが攻略法ですが、誰もやろうとしません。ラッパーは勝利に対して控えめなのでしょうか?
また、バトルにおいては、発言権が時間による区切りによって平等に与えられています。相手がラップしている最中に割り込むこと(これは現実の罵り合いにはよくある光景で、自由割り込み制であるために、発言権は大きな声を出せる人間に偏ります。)は禁止されていて、交互に罵り合う約束が結ばれているのです。しかし、もし勝利を望むのであれば、相手の発言権を奪うことはきわめて有効な手段のはずではないでしょうか?
フリースタイルバトルのスポーツとしての方向性においては、勝敗についての基準、つまりルールの中で勝利することに意味があります。ボールをハンドバックに入れて運んでいいサッカーはサッカーではなく、ラケットの代わりに七面鳥を用いるテニスはテニスではありません。ルールを破ってまで相手より有利に立つことは、フェアではないとされるのです。それは、スポーツという行為自体に、さまざまな目的が付与されているからではないでしょうか。でなければ、頭に固い球をぶつけて喜んでみたり、珍妙な道具で黄色い毛の生えた球を打ち合ったりなど、できるはずがありません。腹の立つ相手を負かしたいのであれば、そんな婉曲な取り組みよりも確実な方法があります。
罵り合いに本気で勝ちたいのであれば、フェアなルールを破ることによって、完璧に勝利することができます。あるいは、スタンスの違いを尊重し沈黙することで、分の悪い勝負を回避することも可能です。なぜなら、並立する価値観を、対立させることも、また無関係のままにしておくことも可能なのが、罵り合いの方向性の特徴だからです。この無関係さにフェアな意味づけをするのがスポーツです。
完璧な勝利と、無効試合とを選ぶことができるにもかかわらず、なぜわざわざフェアなルールのもとで、罵り合いをする必要があるのでしょうか。それは砂漠にサウナを作って我慢比べをするような、要するに、変な取り組みです。罵り合いにおいては、憎い相手をサウナに鍵をかけて閉じ込めたが最期、我慢比べなどする必要はありません。
もし現実に罵り合いの現場に遭遇してしまったとき、あなたはまず、えも言われぬ喜びを見出すでしょう。ただ、自分は野次馬だと決めていたにもかかわらず、唐突に当事者になってしまうと事態は一転し、まるで、爆弾ゲームの爆弾が回ってきたときのような、驚きと不安を感じるはずです。その場合、スタンスの並立が云々などと、悠長なことを言っている余裕はありません。現に、罵られているわけですから。ではどうすればよいか。
爆弾ゲームでは、爆弾を自分で持ち続け、最後の最後に相手に返すのが一番です。罵り合いにおいては、罵っている側が常に優位であり、その内容がどんなに理不尽でも、罵られている側が敗北しているような印象が生じますが、それは一時的なものに過ぎません。そもそもルールがなければ、勝敗もないのです。相手の稚拙な立論を心の中で嘲笑し、そのような不幸に見舞われた自分を不憫に思うことにして、その場はやり過ごすことをおすすめします。すぐに言い返すのはおすすめしません、別の日に、完璧に勝利できる状況を作ってから、相手を罵るのがいいでしょう。
勝利できる状況の一例としては、自分の味方となる野次馬を引き連れて、相手を罵ることです。可能なら、それ以外の野次馬、つまり相手の利になりそうな野次馬が混ざらないよう、個室に誘導しましょう。相手の反論は一切聞いてやる必要はありません。議論や対話などまったく必要なく、ただ一方的に相手の人格をけなし、価値観を嘲弄し、スタンスを否定するのです。味方の野次馬の協力を得れば、そう難しいことではありません。
初めから相手にするまでもないと感じるのなら、罵られた内容をボイスレコーダーで録音し、それを証拠として法的手段をとりましょう。繰り返すようですが、ルールが存在しない以上、勝利と無効試合の他にはなにもありません。つまり敗北は存在しないのです。一時的に罵られたとしても、それは工事現場で重機がたてる音と本質的な違いはありません。
さて、罵り合いの観賞に面白みを感じるのは万国共通のようです。というのも、世界中で翻訳され親しまれている16世紀の有名なスペインの小説『ドン・キホーテ』も罵り合いだからです。次回は、セルバンテスの力を借りながら罵り合いについて検証を深めていきましょう。