僕の好きなことを適当に書き散らすというコンセプトのプチ連載・箸休め小話、カニエ・ウエストの聴きすぎで音楽に少し疲れたので話題を変えよう。
Magic: The Gathering というカードゲーム、正確にはそのデジタル版 MTG Arena に最近ハマっていることはご愛読頂いているあなたには周知のとおり。
僕のマジックとの出会いからはじまる最初の記事とその意外にも文学的にレベルの高い掌編小説の紹介記事に引き続き、マジックのゲーム配信者をお招きしてその魅力を語る対戦動画も近日制作予定なのだが、今回の批評の角度は少し違う。
とまれ、こちらのカードをご覧頂こう。
ちなみに、2019年5月半ばにて Foil 仕様(箔押し加工)ならメルカリで約3万円の値段で取引されている。
え、絵柄なんか違くね?
そう思ったあなた、正解。
マジックの最新エキスパンション「灯争大戦」は、昨年末からのラヴニカ編を締め括り、マジック世界の巨悪の龍ニコル・ボーラスと主人公たちとのラヴニカ次元を巻き込んだ戦争をフィーチャーしたもので、さらには過去のキーキャラクターたちも多数登場するという大盤振る舞いもあり、デジタルとフィジカルともに大規模なプロモーションがおこなわれている。
もちろんその背景には、今月開始のマジック版 e-sports のプロリーグに弾みをきかせたい意図もあるだろうし、もっといえばデジタルカードゲームとして完成度の高いアリーナに僕のような新規勢を呼び込むためもあるだろう。
で、今回日本語版のパックにはその販促として合計28人の人気日本人絵師による36種の特別イラストが2分の1の確率で封入されることになった。
目玉のカードはなんといっても天野喜孝による今作最もスポットのあたった屍術師リリアナ・ヴェス――彼女の最新カード「戦慄衆の将軍、リリアナ」の天野版 foil 仕様は残念ながらメルカリでは見つけられなかった――が、全国のカードショップでは約7万円前後で買い取りの募集をだしていることからその価値は十分に推し量れよう。
もちろん、批評という生き方に苦しむ僕だから当然日本版イラストに思うこと感じることが痛いほどあるわけで、マジック界隈(に限らないけど)のブロガーや YouTuber はみな否定的なことは黙しがちなこともあり少し辛口気味にレビューしていこう。
いや、天野版リリアナだって色眼鏡を外して素直に観たら、雑だなあ、汚いなあ、という厳しい感想しか湧いてこないんだもの。
え、ちがう?
はい、というわけでコチラ、「覆いを割く者、ナーセット」――アンコモンというレアリティの低さの癖にカード性能の高さもあって今人気急上昇中の1枚、日本版の絵師は碧風羽。
本家ナーセットが(多分)次元渡りしてきた瞬間の動きを描き、顎下からの仰ぐようなアングルというおよそ目鼻立ちが美しくみえない構図に対し、日本版ナーセットはそういった細部の情報量が削ぎ落とされた正面からの構図で、全体的な色合いも明るく、ぼかし気味になり、いわば「美少女感」が前面に押しだされている。
見た目年齢が10歳程下がっているという意味では、ニッサ(絵師:ひと和)や、ジアン・ヤングー(絵師:井塚大介)も同様だろう。
(なんなん、この煽情的な肌の色遣い……)
(はいはい、ただのショタね、妙な汗かいてるし)
好き嫌いの話をすれば、描かれる側も読む側も低年齢を前提とした今の日本のマンガ・アニメ的表現は僕はかなり嫌いだ――ナーセットであれば美少女感を、ニッサであれば魔法少女感を、ヤングーであればショタ感を強調されるのは鑑賞者として馬鹿にされているように感じるからだ、おまえはこういうのが好きな年齢、社会階層なんだろう、と。
特にニッサとナーセットに関しては羞恥心から正視できないものを感じる。
余談だが、20代の頃に僕はかなりマニアックで特殊な性癖をさわる程度には嗜んできたのでおよその性的趣味は笑って受け容れられるが、リアルな幼女・幼児趣味だけは生理的嫌悪感を催す。
思うにそれは僕だけではない。
少なくとも、西欧のキリスト教文化圏においては教会内で実際におこなわれてきた経緯もあり、幼女趣味は酷く忌み嫌われる対象だからだ――サスペンス映画や海外ドラマにおける「身近に潜む異常な悪」として性的な児童虐待の常習犯や集団犯罪の描かれることがなんと多いことか。
だから、日本のマンガ・アニメ的表現であたりまえのようにおこなわれる低年齢化とカジュアルな猥褻表現には、僕個人は許しがたいものを感じてしまう。
とはいえ、完成度という観点でみた場合――社会的人気を考える上で、作品の完成度という概念はきわめて重要なのだがさしあたりこの記事ではその内実に踏みこまない――いずれも手仕事の雑味がなく、特にナーセットはその背景の書き込みの少なさからも非常に見やすく、多くのひとに受け容れやすいものに仕上がっており、カード価格の高騰ぶりもまあ、うなずける。
今度はもっと酷い出来の日本版を挙げてみよう。
(想像上の動物とはいえ、肩回りの関節と筋肉の関係はどうなってんの……小太りのナナフシにしかみえんわ……)
(上半身の縦横比、おかしくないですか?)
(そのアタマはわたあめなのか、大阪のおばちゃんなのか、どっちなんだ……)
(この躍動感のなさ……ギャグ漫画かな?)
オーケー、この辺にしておこう。
次は、本家のイラストを喰ってしまった日本の絵師たちだ。
本家は総じてイラストとしてお行儀の良いものが多い――アーリンでいえば、狼クリーチャーの生成と彼らの全体強化能力というカード性能をより強く反映させた、イラストとしてより正しい絵柄になっているということ――が、鈴木康士による日本版の絵柄はそうしたイラストの発想では描かれていない。
日本的なデフォルメを施しながらも大胆な陰影を付けることで画面全体には奥行きが、独創的な構図からは左から右への流れを生みだし、アーリンのひとつ結びの髪もきちんとその流れを反映してるのも実に芸が効いている。
アーリンが赤緑という原色の組みあわせを持つ以上、両方の色合いを濃くしたり明るくしたりして情報量をあげにくいはずなのだが――だから、本家では絵柄を暗くして衣服の赤を暗褐色に落としこんでいる――絵柄全体を黄味がかせることで原色の赤緑という視覚的にキツいはずのバランスをより良く調整していることがこの描き手の技量の高さを証明している。
結果、アーリンの肌の色合いは非常に抑制が効いたものとなり、シックで、大人向けの美しい女性になりえている。
日本版ニッサの肌の色合いを「煽情的」と僕が形容した意味がおわかりいただけただろうか?
繰り返しになるが、本家のイラストはお行儀の良いものが多い――この場合、図と地の関係、主題は見やすくハッキリと書かれ、背景はぼかし気味にし、全体的にスッキリとした印象を与える単純な構図――が、村山竜大による日本版ヴラスカはそのうねうねとした蛇の髪の毛と禍々しい黒い何か(ヴラスカたんは陰キャ界の聖人だけどな!)によって構図に動きと複雑さをもたらしている。
単純なものと複雑なもののどちらが良いかはこの記事では立ち入らない――単純なものは社会的に有用で、複雑なものは個人的な繰り返しの鑑賞に耐えるとだけ述べておこう。
日本版ヴラスカは部分的に今の日本のアニメ・マンガ的表現に則ったもので、キャラクター自体は低年齢化し、特有の奇妙にツルっとした肌の印象を与えるが、日本版ニッサのような猥褻さや日本版ナーセットのような単純さはなく、独創的で、情報量も多く、大人でも見応えのあるものだ。
カードではわかりづらいが、7月末に発売予定という特製スリーブではなにやら絵の下半分は興味深い描き込みがなされていることがうかがえる。
アーリンとヴラスカのこのスリーブは買いだな!
とはいえ、アーリンもヴラスカもカード性能的にはかなり微妙で、イラスト的にも複雑で鑑賞者への媚が少ないのだが、人気投票でよく上位に食い込めたなと驚かずにはいられない。
MTG民はひょっとして民度が高いのだろうか?
いずれにせよ、何を好きになるかという感覚的判断はだれにも批判されてしかるべきではないが、それとは別に物事の良し悪しを見極めようとする知的判断のまなざしも常にもっていたいものだ。
煽情的な画像にブヒブヒと鼻を鳴らすのは致しかたないとしても、己の浅ましさを反省して襟を正そうとするのは結局人間だけで、文明人の誇りなのだから。