オタク――。
非伝統的な大衆文化を愛好し、特定の分野に属する専門知識と繊細な趣味を非職業的にもつものたちが2000年代後半から増えはじめ、ニコニコ動画とコミックマーケットが大きな機能を果たし、アニメを中心とするメディアミックスと2次創作の生態系が活性化したことを前回観た。
今回はその内面を掘り下げて定義をより精密にしてみよう。
そのためにはまず、有名な、あまりに有名なあるゲーマーのスクリーンショットからはじめる。
――押井守だ。
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3.マイノリティ意識――交換不可能な趣味の繊細さと探索本能の旺盛さによる
稀代の映画監督押井守の説明は不要だが、ゲームに親しんでいないひとにはこのデジタルゲームの説明が要るだろう。
とはいえ、この構図の良さ、ではなく絵面の異様さがその前におわかりいただけただろうか?
ではもういちど……。
パワーアーマー(略称PA)と呼ばれる核電池を動力源とするエグゾスーツに見られるように、フォールアウト・シリーズはレトロフューチャーな世界観と自由度の高さが人気のポスト・アポカリプスものだ。
1997年に米国のインタープレイが初代フォールアウトを発売、その後、2004年に資金難を理由に一時閉鎖してその知的財産権をベセスダ・ソフトワークスに売却している。
インタープレイ版の初期フォールアウトはターン制と自由なキャラクターメイキングでTRPG色の強いものだったが、ベセスダはその自由度を減ずる代わりにオープンワールド形式の広大なマップと1人称視点のシューティングアクション、シームレスなコンバットシステムを導入。
2008年にフォールアウト3を、2015年にフォールアウト4を発売してさまざまなGOTY(ゲーム・オブ・ザ・イヤー賞)に輝いたベセスダだが、2018年にオンライン専用で「作中の登場人物は全てほかのプレイヤー」という異色の意欲作フォールアウト76を発売、が、致命的なバグの数々とエンドコンテンツ不足により売れゆきと評判は今のところ芳しくない。
余談だが、インタープレイのフォールアウト2の開発者たちが創業したオブシディアンは2010年にフォールアウト・ニューベガスを発売、ベセスダよりも初期作に寄せた作風でコアなファンをうならせただけでなく、2018年末にはフォールアウト色の強い完全新作SFアクション、アウターワールドの制作を発表している。
ベセスダの手痛い76の失敗もあってか、開発途中ながらすでに大きな注目と期待を集めているのはなんとも皮肉な話だ。
さて、押井守だ。
むかしから仕事の合間などに自宅でゲームをやっていたそうで、8割方は過去のドラゴンクエストシリーズをその都度毎に目標を立てながら周回していたようだが、フォールアウト4が数年に1度の神ゲーと聞き、トンカチ片手に景観作りに励んでいたドラゴンクエストビルダーズからこっちに移ってきたらしい。
フォールアウトは枯渇する原油資源の確保に端を発する核戦争後の荒廃した22、3世紀頃のアメリカを舞台とし、4では復興の途半ばで諸勢力がにらみあう東海岸のボストンをフィーチャーしている。
本作の主人公は、Vault Tec 社の核シェルターで冷凍睡眠中に何者かに拉致された幼い息子を探しに出掛け、道中で困っているひとを助け(たり、無視したり、射殺したりし)ながら、ユニークな仲間たちとともにボストン中を旅し、最終的にはそれぞれの正義と理想を掲げた4つの組織のいずれかに深くコミットして当初の目的を果たすことになる。
が、そのうちのひとつ、シリーズ当初から登場し、核戦争以前の技術と管理を目的とする武装組織 Blood Of Steel (通称B.O.S)が押井守の逆鱗に触れたらしい。
他人と関わりたくないくせに好奇心だけは旺盛な性分なので、早速彼らの前線基地を偵察に出掛けてみれば、ゲートには威圧的な黒いパワーアーマーを装着した歩哨の姿がありました。
「民間人は立ち入り禁止だ」という恫喝に始まって「B.O.S.以外はゴミ同然だ」等の差別発言悪口雑言ヘイトスピーチの嵐です。他人の縄張りに勝手に入り込んできたくせに、数と力を背景に優越意識剥き出しの言いたい放題です。
私の大嫌いな恫喝人間どもです。
治安の回復を口実にしてはいますが、その内実が勢力圏拡大を狙った侵攻作戦であることは明白でしょう。血が逆流しましたが、ここで下っ端の頭を吹き飛ばせば寄ってたかって穴だらけにされるのは必至です。その場で戦端こそ開きませんでしたが、それ以来、廃墟で連中の偵察部隊を見掛けたらストーキングで背後から接近して愛用の50口径で狙撃。証拠を残さぬように皆殺し。身ぐるみ剥いでパンイチで転がすことに決めました。相手は侵略者なのですから、容赦は無用です。
B.O.S で悪名高いのは、アボミネーションという放射能などで突然変異した生物の総称であり殲滅対象を指す概念だ。
フォールアウトの世界には、デスクローやフェラルグール、スーパーミュータントに代表される危険生物が跳梁跋扈しているのだが、人間の頃の自我と理性をそのまま残したグールも「人間」のグレーゾーンとして多数生活している。
また、本作は人造人間の人間性にテーマを置いており、本来は作られた存在に過ぎないはずの彼らが作中でもっとも人間臭かったり思い遣り深かったりするなど、自我の芽生えた人造人間をプレイヤーがどこまで「人間」とみなしうるかで彼らも殲滅対象とする B.O.S の評価は変わってくる。
もっとも、組織としての B.O.S は、核戦争直前にアメリカ政府が対中国用生物兵器として開発していたFEV(強制進化ウイルス)研究所の警護にあたっていた軍人ロジャー・マクソンらが、軍の受刑者を被験体にした非人道的な研究の実態を知り武装蜂起したことに端を発しており、本作の B.O.S 陣営で仲間になるパラディン・ダンスも過去に無二の戦友をスーパーミュータントに捕縛され強制進化させられてしまい、みずからの手でスパミュ化した親友の命を終わらせるという壮絶な”記憶”を背負っていたりするので、彼らの独善的な選良主義もまったく故無しというわけでもない。
遭遇した当初からムカついていたB.O.S.ですが、全面戦争を決意した経緯は前回の通りです。大量のグールに襲撃されていたところへ戦闘加入し、全滅に瀕していた偵察隊を救ってやったにも拘らず「ここに留まりたいなら素性を明らかにせよ」などとホザくような連中です。
己の正義を信じて疑わず、その正義を暴力で他者に押しつけるナチのような、ポルポトのような、紅衛兵のような、ISのような、要するに繰返し再生産されるボルシェビキの亡霊たちです。その本質は選良主義であり権力志向であり個人崇拝であるようなクズどもの集団です。「指示に従う市民は良き存在だ」などと宣う尊大な連中です。「B.O.S.でなければゴミ同然だ」と思い上がった侵略者です。
一匹狼のスカベンジャーはそれを許さない。
野良犬魂がメラメラ燃えます。(中略)
鹵獲したB.O.S.のPAはすでに40機を超えました。
撃墜したベルチバードも十数機。
戦利品のPAの列線を眺めていると達成感が半端ではありません。
そして、B.O.S 隊員のパワーアーマーを戦利品として自分の拠点に持ち帰り、丘陵地帯の波打つ地肌にあわせた一糸乱れぬ3重の列線をなして「景観の創出」に情熱を注ぐのだが、ここで問うべきはどれだけのひとがその趣味に共感できるかだ。
つまり、驚くでもなく、面白がるでもなく、嘲笑うでもなく、感嘆し、自分の制作物もと押井守に見せてくるようなひとがどれだけいるだろうか?
もちろんこの問題の肝要は、彼が「異常」なのではなく、己の趣味を突き詰めればひとはみな孤独という単純な帰結だ。
いや、普通のひとたちから離れ、自分が本当に好きなものを自力で探そうと慣れ親しんだ世界から外に1歩2歩踏みだすだけでカンタンに「常識」や「通例」から外れることができる。
おもしろい考えかたがある。
ヤーク・パンクセップというエストニア出身の神経心理学者によれば、探求システムという原初的な欲求がもっとも基本的な情動指令システムとして生命体にはあり、水や食べものや居心地の良い場所、なにより生殖相手をもとめる探索行為そのものがドーパミンの分泌に結びつき、外に何かをもとめるという生物の必須行動を快感により可能にしているという。
何か大きい買い物をするとき、実際に買ったあとよりもそれまでのあーでもないこーでもないという調査段階がいちばん楽しかったりするのはだれもが経験的に知ることだろう。
特に、現代のように大量のコンテンツとその膨大な情報が溢れかえり、それらを入手したり体験したり使用したりする時間的かつ経済的コストがきわめて低い探索とオタクの楽園では、ひとびとの趣味がたやすく拡散し、多様化し、繊細になるーーとはいかなかったのがこの「普通のひとたち」の岩盤のような粘着力である。
オタクの正体を考えるうえで避けて通れないのがこの彼らだが、その分析はいわゆるライトオタやにわかオタ、ファッションオタクを生んだいわばオタクの反転現象を考える段階にとっておいて、オタクの単純な事実だけを確認しておこう。
オタクになることは「普通のひとたち」の共通了解から逸れ、自分の趣味に適うものを程度の差こそあれ求めにゆくことであり、マジョリティの「常識」に背を向けることを意味する。
結局、押井守が自嘲的に書くように、自分の趣味を突き詰めればつめるほど客観的に観れば「ただの馬鹿」なのだ。