洗練された美意識の透徹
7月末、マイクロソフト専用タイトルとして期待の新作『The Ascent』がリリースされた。
PS版がないという仕様上、日本国内ではどうしても話題にならなかったが、サイバーパンクな世界観で「アーコロジー(都市型の巨大建造物)」という舞台装置を最大限に生かした素晴らしい作品だ。
本作を開発したのは Neon Giant というスウェーデンの新興企業で、AAA級タイトルの開発に携わったベテランの開発者ではあるものの、コアな従業員はわずか11名と少数精鋭の会社らしい。
結論からいうと、本作はゲーム性と物語にやや難があるが、レベルデザインとそれを前提にした映像表現は見下ろし視点のゲーム作品における記念碑的な出来の良さで、今後も参照されるべき独創性と作り込みの高さと称賛できる。
その意味では、以前批評を書いた『Cyberpunk 2077』と批評的にもよく似ており、ヴィジュアル部門に限れば今年のベストゲームといえるだろう。
では、本作は膨大なリソースを費やして何を成し遂げたか。
ナイトシティの迷宮を思わせる立体的なレベルデザインと類まれなアートディレクションによる今日的な美しさだ。『サイバーパンク2077』はデジタルゲームとアートの融合として大きな金字塔を打ち建てたのだ。
まず、プレイヤーにどのような課題を強要し、許容するかという課題構造の観点から分析する。
『The Ascent』は、時間制限がなく、ロードをはさむ度に雑魚敵が無限湧きするなかで、メインクエストを進めるために固定湧きのボス敵を倒すかウェーブを凌ぎきるかを必須課題とする戦闘ベースのアクションRPGだ。
そのため、課題解決に戦闘以外の選択肢がなく、アプローチ/戦術の違いが異なる結果と伏線を生まず、戦闘以外のアクティビティやプレイツールも用意されていないため、課題構造としてはきわめて単純な分類にはいる。
注意が必要なのは雑魚敵が頻繁にリスポーンすることだろう。
というのも、ほとんどのエリアに解放条件なしで進めるオープンワールドなマップデザインを採用し、プレイヤーの移動をエリア毎の敵とのレベル差でコントロールしているため、序盤・中盤では不意に高レベル帯に侵入してしまう事故死からの雑魚敵総リスポーンを、中盤・終盤では歯応えのない敵の蹴散らしを(ファストトラベルがあるとはいえ)マップ移動のたびにこなさなくてはならず、戦闘全般に終始作業感を覚えてしまいやすいからだ。
また、ARPGあるあるだが、雑魚敵の無限湧きというアクション重視の仕様が本作から戦略的思考を奪っていることも指摘したい。
プレイヤーが作中で気に掛けなくてはならないリソースは2種類ある……レベルアップ時に3つ貰えるスキルポイントと武器のアップグレードに使用するコンポーネントだ。
問題はいずれも探索中に拾える機会があるだけでなく、前者はプレイヤーレベルにキャップ(限界)がないことで、後者はランダムで出現する雑魚敵の強化版(賞金首という扱い)が死亡時にドロップすることで、事実上、入手量に制限が設けられていないことだ。
そのため、プレイ時間さえ惜しまなければだれでも全能力値の「カンスト」も全武器のフルアップデートもでき、極端な話、無限湧きの雑魚敵をとにかく倒しまくるレベリングで戦闘課題を無理やり突破できる仕様になっている。
結果、限られたリソースのなかでハンドスキルを磨いたりビルドを工夫したり戦術を練ったりするインセンティブが損なわれ、単純な課題構造の解決自体も本質的に単純化してしまっているのだ。
とはいえ、メインストリーム向けの作品に限ればARPGに特徴的なこうしたデザインとその欠陥はもはやお馴染みなものだろう……特に「レベル上げ」がほぼ必須なRPGやMMO、希少なドロップアイテムがビルドに必要なハクスラに慣れたひとほどそうだ。
違うのは、ARPGの根底にある同一作業の反復に意味を与える報酬のデザインだ。
たとえば、『Grim Dawn』や『Path of Exile』はきわめて厳格なビルドシステムと課題の難易度設定(つまりは戦略性)で、『Dying Light』はパルクールと近接攻撃の爽快感(つまりはアクションの操作性)でこの反復行為に大きな意味を与えることに成功した名作といえる。
本作をアクションゲームの操作性から観ると、マシンスペックに適さない高グラフィック設定の場合を除けば概ね快適に楽しめる良く出来たものに感じられた。
遮蔽物が適度に配置され、しゃがみによる壁に身を隠したノーリスクな撃ち方もできるが、近接や飛行能力、砲弾系のスキルをもった敵対的NPCが多いため、中盤以降はダッシュを多用したわりとハイスピードでかつほどほどに精確なガンアクションが要求される(宗教上の理由からエイムアシストは切ったのでその簡便さはわからないが)。
アビリティに相当するオーギュメントもダメージ系・補助系・阻害系・召喚系とひと通り揃っており、最大効力を発揮するにはスキルポイントの割り振りに寄せた装備を選ぶ必要があるものの、デメリットなしでそれなりに幅広い戦術を試せる。
オーギュメントの一部はユニークで、グロテスクな阻害効果が奇妙にも格調高いエフェクト(映像表現)で使えることもポイントが高い。
世間的にはきわめて高く評価された『HADES』が(ビルドを研究したりハンドスキルを磨いたりするのではなく)DPSを爆上げする(のが最適解な)わりと雑な作品だったことを思うと、本作のアクション面がもっと賛辞を受けても罰は当たらないだろう。
深刻な問題があるのは先述の戦略性と物語だ。
『The Ascent』は、巨大企業アセントグループの突然の崩壊の裏にある陰謀に巻き込まれながら主人公が傭兵?として立身出世の道を歩む物語だが、これが相当に面白くない。
たとえば、『Cyberpunk 2077』も物語の抽象的な類型は似ているが、(事前アナウンスの内容に比べれば付け焼き刃な印象だったものの)プレイヤーキャラクターの過去から物語をはじめられ、ジョニー・シルバーハンドの憑依という独自な立ち位置でコンパニオン兼主人公の人物像を掘り下げられた。
つまり、世界の側で何が起こり、自分がどのように対処するかだけでなく、世界の側でそれが何故起こり、どういう自分がもともとどのように関係していたためにこういう対処をせざるをえなかったか、というかたちで物語に必然性をもたらし、自分が世界と向き合い対処すること及びその結末に大きな重みを与えているのだ。
また、魅力的な登場人物がいないだけでなく、プロットの展開も巧みな仕掛けがないせいで「先を進める」面白さが感じられなかった。
ロア系の文章の充実具合を踏まえると、作品世界の設定から実際のプロットとキャラクターデザインに落とし込む過程に問題があるのだろう。
戦略性の欠如は多くのARPGに共通するため仕方ないとしても、本作のアクションの操作性と映像表現の挑戦に比してユーザーや評論家の評価が芳しくないのは思うにこの物語による意味付けが薄く、同一作業の反復というジャンル特有の無機質な本質が剥き出しになるからにちがいない。
さて、本作でほぼ唯一手放しに称賛できるヴィジュアル面にふれよう。
アーコロジーとは、20世紀の環境問題を背景に考案された、都市構造及び機能をまるごと圧縮した巨大居住建造物の概念で、現実世界ではもちろん、創作上の世界ではさまざまなコンテンツに採り入れられてきた。
たとえば、以前批評した『ファイナルファンタジー7 リメイク』の舞台であるミッドガルもスラム街の上空に建造されたアーコロジーと考えられ、日本文化圏ではお馴染みのもののひとつだ。
本作の特徴は、『Cyberpunk 2077』の荒廃した郊外まで含めたナイトシティとは違い、物語の舞台をアーコロジーの建造物内部に限ったことにある。
つまり、立体的にかつ複雑に入り組み、コリジョン(当たり判定)付きの破壊可能な置き物が散りばめられたレベルデザインや、レイトレーシングを存分に活かした艷やかなライティングがアーコロジーの機関部やサイバーパンク的世界観特有のエキゾチックな都市の猥雑さを美しく演出するなど、探索可能な「遊び場」としても映像表現としてもかなり出来が良いのだ。
もちろん完璧とまではいえず、3億ドルという莫大な予算とマンパワーで制作された『Cyberpunk 2077』と比べれば、舞台設定の制約から階層毎の特色の幅は狭く、ロケーション内の造りや構造の反復も少なくはないなど欠点もある。
しかし、少人数製作のタイトルでフォト機のなさが惜しまれるほど(10月28日のパッチで待望の?フォトモードを実装!)随所随所で美しく演出されたアクションゲーム、ましてや見下ろし視点の作品ではそう多くないのも事実だろう。
それも、その美しさとはよくあるノスタルジーに媚びたパステル調の万人向けのものではなく、敵対的NPCの残虐無比な鏖殺というグロテスクな素材にも気品をもたせられるほど、格調高く、重厚感があり、本物のハイブランドが有するような美意識の洗練を感じさせるものだ。
だれの目にもわかる色彩の派手さやデザインのユニークさ、技術的な高精細さはないが、だからこそ、制作陣の透徹した美意識とその高さがより鮮明に反映された作品は珍しいだろう。
もっとも、真に厄介なのは以前『Disco Elysium』を例に「クロワッサン問題」を考えたとおり、これらの個別的評価と評価軸にどのような重みを付けて作品全体を評価するかだ。
クロワッサン問題とは何か?
具体的には、あなたが今食べたクロワッサンの味わいはお店の質をどの程度保証するか、という問いであり、抽象的にはある属性ないし要素への評価をそれが属するより高次な「全体」への評価に横滑りさせる批評的誤謬を指している。
もちろん、大抵の場合は限られた要素への評価(クロワッサン)からより高次な全体(お店)への評価を導きださなくてはならず、そのため、批評は常に、個々の要素への自覚的な評価だけでなく、何をどの程度重視し、軽視するかという評者自身の直観的な価値秩序(センス)を前提とすることに問題の核心がある。
すでに説明したように『The Ascent』のアクション面は高い水準にあり称賛に値する。
しかし、ゲームデザイン全体では、アクションゲームが抱える同一作業の反復という無機質な退屈を克服できるよう、戦術性、戦略性の幅や選択に意味と重みがあるデザインにはなっておらず、どんなひとがどんなプレイングをしても時間を掛けた分だけクリアしやすい単純な課題構造になっている。
また、物語も同様であるどころか普通の意味で面白くなく、平均以上の出来とはいえない。
だが、映像表現として観た場合、ユニークさには欠けるものの、アーコロジーという舞台設定を良く活かしたレベルデザインには制作者の洗練された美意識が透徹され、見下ろし視点の作品としては稀有な美しさを実現している。
個人的には、今年の新作ゲームの不作っぷりを考慮しても『The Ascent』はベストゲームのひとつに数えられないが、それでも、レイトレーシングを駆使した本作の映像表現の到達点が一般的に称揚されず、今後の批評で参照されないのには疑問を覚えるのが正直な感想だ。
生粋のゲーマーではなく、以前書いたように文学やアートの問題意識からデジタルゲームというフォーマットに魅せられた僕の贔屓目だが、本作のゲームと物語上の瑕疵を越えて、最も優れた映像表現の面がせめて個別的評価の範囲内で適切に観られることを願ってやまない。