南アフリカのポスト・アポカリプスSF
デジタルゲームの素晴らしいところは様々な創作物を要素として呑み込んで昇華する貪欲さだ。
ゲーム本来がもっていた競技性やチャレンジ性とは別に、物語や映像、音楽、快楽、創造行為そのものさえも作品内の要素としてとり込んでいるという意味で、近年のデジタルゲームはその総合性の観点からほかのあらゆるアートメディアに1歩も2歩も抜きん出ている。
テクノロジーが根幹にあるが故に日進月歩でどんどん進化し、エンターテイメントが出自であるが故にお金が集まりやすくコミュニティも分散的ながらきわめて大きい。
4、5年前に僕がデジタルゲームに注目しはじめたのもその総合性の高さと成長スピードに驚いてのことだった。
先月28日に配信開始された『Beautiful Desolation』は、南アフリカ共和国の Bischoff 兄弟によるポストアポカリプスもののSF探索アドベンチャーゲームで、同開発としてはディストピアホラーの『Stasis』と『Cayne』に次ぐ第3作目にあたる。
2017年に Kickstarter で約14万ドルの資金調達に成功したのち、メインの開発は兄弟ふたりであとは外注だけという驚くべき少人数態勢で本作を無事ローンチまで漕ぎ付けた。
『Beautiful Desolation』は端的にいって美しい作品だ、タイトル通りに。
しかし、デジタルゲームを総合性に長けたアートメディアのフォーマットと観ている立場からすると、本作品には小規模開発の問題がその美しさの裏に良い意味でも悪い意味でも伏在していることも指摘しなくてはならない。
本作は、斜め上の見下ろし視点からポイント&クリック方式で移動と探索をするメインパートと実写風のカットシーン、そして、奇妙なレトロ風のデバイスを通した内容選択が可能な会話シーンの3つで構成されており、映像作品としてはいずれも完成度が高い。
1976年の南アフリカ共和国・ケープタウン、物語は主人公のマーク・レズリーとその妻で看護師のチャーリーが夜の激しい嵐のなか乗用車を走らせるカットシーンと不穏な会話からはじまる。
マークには貧困者用シェルターからもどってきたばかりの心を病んだ兄がおり、看護師の妻チャーリーにその兄から助けを求める電話が掛かってきたため不承不承ながらも妻に急かされて車を走らせているのだーーもちろん会話の選択次第では「兄には僕たちが必要だ」と妻に同調にできるし、「いい齢した大人を子どものように面倒を見たくない」と愚痴ることもできる。
しかし、突如として謎の巨大な構造物が空から飛来してきてマークたちの車はその衝撃で吹き飛ばされ横転してしまう。
画面はたちまち暗転し、舞台は10年後、実兄ドン・レズリーが操縦と管理を任されている空中遊覧用のヘリコプターガレージを主人公マークが訪れる――兄弟の再会は10年振り、妻チャーリーの葬式以来だ。
あの嵐の夜にマークの最愛のひとを奪った謎の巨大構造物はペンローズと呼ばれ、人類はそれをリバースエンジニアリングすることで現代科学を飛躍させ、1986年にして人工知能を搭載したコミュニカティヴなドローンやロボットが人間とともに働いているレトロフューチャーな世界に変貌していた。
一方のマークは抑鬱を発症させたのか、妻の直接的な死因となったペンローズの正体を暴くために一介の民間人ができる範囲での独自調査を重ねてきた末、もうひとつの死因であるあの日妻に電話を掛けてきた兄のドンに会社のヘリコプターを使って自身をペンローズに潜入させるよう(選択肢によっては)なかば脅迫する。
もちろん、彼なりに弟を大事に想い、チャーリーを死なせた罪の意識を背負ってきたドンに断ることなどできず、経営者の指示に背いてあの日と同じ嵐の夜にマークを乗せて飛びたつが、ペンローズの発着陸場に降りたち、球形のラボからデータを抽出するやいなや犬型の偵察ロボットに捕捉されてしまう。
が、突然強烈な光が迸り、ブラックアウトから眼を醒ましてあたりを見回すとそこは経年劣化で酷く荒廃したおなじペンローズの発着陸場だった。
その後、ふたりと1匹は「ダリスの神殿」を警護しているという複数体のロボットに囲まれて古びた軍事輸送船に乗せられるが、航行中に謎の半人半機からミサイルで狙撃されて浜辺の密林にマークは独り不時着――そうして離れ離れになった兄のドンを救出し、自分たちが元いた世界に戻るために未来の南アフリカをめぐる奇妙な冒険がはじまる。
本作の白眉はなんといってもアフリカンスタイルのSFチックなポストアポカリプス的世界観の作り込みだ。
南アフリカの赤茶けた大地とSF的想像力の融合という意味ではおなじく南アフリカ出身の映像監督ニール・ブロムカンプの『第九地区』を思わせるが、Bischoff 兄弟のビジュアルワークはそれよりもはるかにグロテスクで倒錯的な魅力に富んでいる。
たとえば、本作では Warden と呼ばれるポータル的なものを使い6つのマップを往復するが、序盤の平地や密林地帯にはじまり、砂漠の石造りの街や噴火口の街、湿地帯、骨で出来た寺院、果てはテラフォーミングに失敗したであろう寒冷な惑星とさまざまな植生を違和感なくミックスさせることに成功している。
また、さまざまな出自の機械化した、あるいは機械そのものの部族集団が本作には多数登場するが、万人受けはしないもののその独特なデザインはとても印象的で、ダークでグロテスクな雰囲気を好むプレイヤーにはかなり魅力的に映るはずだ。
特に、2Dのアイソメトリック視点によるマップ移動と固定視点の会話シーンの組み合わせは相性が良く、少ないリソースで過剰ともいえるデザインの作り込みをしながらも眼に触れる場所を限定することで、インディーゲームでありながら作品自体に安っぽさを感じさせないリッチなヴィジュアル体験を可能にしている。
そして、この美しさに一躍買っているのが本作のサウンドデザインだ。
生身の人間がレズリー兄弟を除けばほとんど登場しない本作では部族の特性によってキャラクターの声を大きく歪ませており、たとえばテラフォーミングの担い手の植物や人間と共生関係を結んでいる高度な科学力をもった寄生虫などは演出的な吃りもあり聴き取り困難なほどノイジーに加工され、Witness という名の不死を生きる種族の声はこもった感じにかなり強めに加工されてその神秘的でかつ退廃的な雰囲気をより一層強めている。
いずれもメインストリームを多少とも狙った作品ではGOサインが出ないであろう程の優れた加工のキツさだ。
一方、本作のヴィジュアル体験の割を食ったとある意味でいえるのがゲームシステムだ。
たとえば、否定的な意見のネットレビューには僕も以前批評を書いた『Dysco Elysium』と比べたものが少なくないが、これはかならずしもフェアとは言い難い面がある。
というのも、アイソメトリック視点でかつポイント&クリック方式のヴィジュアルワークに凝った謎解きものという点では両者を共通するが、『ディスコ・エリジウム』にはRPG要素が強くあるため主人公のビルドシステムと多種多様なスキルチェックがゲームシステムの根幹を成し、『Beautiful Desolation』ではあくまで物語を読み解いて必要なアイテムを探索/合成して必要な場所/相手に渡すアドベンチャー要素に立脚した本質的に異なるゲームデザインが成されているからだ。
そのため、本作のプレイ感覚としてはプレイヤーにもとめるチャレンジと試行錯誤があまり愉快とは言い難い単純なもののため、作品の物語や世界観に浸りきらないプレイヤーには味気なさを感じさせてしまう弱さがある。
また、没入感という点でいうと本作に登場する種族は15時間前後のプレイタイムとしてはやや多く感じられ、それでいて彼ら彼女らについて掘り下げる収集物のドキュメントもないため、僕の英語力の問題もあるだろうが本作品に入り込むにはやや意識的な努力を要することも事実だ。
つまり、ゲームシステム自体はとても単純なもののため物語と世界観への没入に本作の愉しみは依存しているが、その複雑でかつ独創的な世界観に入り込むにはプレイヤーへの取っ掛かりの用意がきわめて少ないといわざるをえない。
したがって、本作の物語には自分自身の目的遂行のために対立する2つの部族のうちどちらに肩入れしてどちらの殲滅を覚悟するかというフォールアウト風の選択が幾度か繰り返されるが、作品世界への入り込みが薄いと「まあ、あっちの方がキモいし怪しいから切り捨てちゃおっと」と雑な選択に走りがちで、シナリオの分岐がリプレイ性を高めるものとしては残念ながらプレイヤーのなかで結晶化してこない。
要するに、作品の世界観やヴィジュアルワークの芸術的な美しさとデジタルゲームにおけるその到達点の高さは称賛に値するものの、ゲームとして観た場合にはリソースの割り振りをかなり偏らせたせいか普通の意味であまりおもしろい作品とはいえないのだ。
もっとも、本作の世界観の複雑さというか濃厚さに比してそのストーリーラインの組みかたには不満が残るものの、物語のテーマ的な奥行きはシンプルながらデジタルゲームとしては十分な深みがある。
『Beautiful Desolation』の僕が読みとった限りでの作品テーマは抑鬱の克服だ。
既に述べたとおり、主人公のマークは妻を喪った哀しみからその直接的な原因となったペンローズの正体を知ることに固執し、兄のドンに対しても選択肢によっては辛辣な態度をとり続け、おそらくは会話選択の積み重ねの結果からドンとは袂を分かつ分岐に進む――その際に獲得するアチーブメントはこうだ、”I don’t forgive you”。
また、ペンローズ内部でレズリー兄弟を侵入者として捕捉する犬型偵察ロボット Pooch もまた元いた世界に戻るために成り行きでマークらと同行するのだが、会話の選択次第では彼女と心を交わし、エンディングである人物との会話のなかでその「愛情」と「あたたかさ」を感じられるようになったことを確認するが、場合によってはドンと同様に Pooch とも離別することになる――その際の獲得アチーブメントは “You mean nothing to me” だ。
つまり、プレイヤーが善人的な会話選択をドンと Pooch にとる限りにおいて本作のストリーラインは喪失の哀しみを克服する過程に、つまり、危機的状況のなかで喪失の原因になった人物を赦し、己の感情と過去から離れ、今いる身近な他人のあたたかさに気付けるようになるというプロセスをたどることになるのだ。
このシナリオの分岐を巧みに用いたテーマ性は作品のなかで明示的に語られることはないものの、抑鬱状態と悲哀の克服を経験したことのあるプレイヤーにはこの流れが腑に落ちたときかなり説得的に身に沁みるものがあるはずだ。
だからこそ、魅力的な作品世界を優れたヴィジュアル&サウンドデザインで構築しながらもその間口が狭く、プレイングの悦びが限定的な要素に絞られていることが僕は残念でならない。
小規模開発だからこそここまで美しさを煮詰められ、リソースの問題から現実的にこういうかたちでしか完成させられなかったという面もあるだろう。
だが、ゲームを自明視せず、デジタルゲームの進歩をその外部から観たときにはじめて総合性の拡張という光源が浮かびあがる―― Bischoff 兄弟がその明るさのなかでいずれ制作することは僕は期待するし愉しみでならない。