1. カフェ・ジャポーネ
2016年現在、日本の喫茶文化にはスターバックスやタリーズといったエスプレッソを提供するカフェが日常にありふれたものとなった。さらに2015年、清澄白河にオープンしたブルーボトルコーヒー1号店を筆頭とした「サードウェーブ系」と呼ばれる新たなスタイルのカフェも続々と現れているが、こうした店でもエスプレッソドリンクを提供する場合が少なくない。
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だが、カフェラテやカフェモカなどのエスプレッソドリンクでなく、エスプレッソそのものに親しみ、日常的に飲む日本人は少数派であろう。洗練された近代西欧文化の香気に「オシャレ」「かっこいい」というポジティブなイメージを抱きつつも、同時に漠然とした敷居の高さに敬遠してきたのではなかろうか。(たいていのコーヒーを生業として選んだ人間は、むしろ初心者を歓迎する傾向があるにもかかわらずである。純粋にお客様に喜んでもらえることへの生きがいだけでなく、自分のコーヒーに対する知識やこだわりを存分に披露することに手応えを感じられて嬉しいと思うプロは多い。)
ところで、エスプレッソの本場・イタリアの大手エスプレッソマシンメーカーであるデロンギの一部製品にはカフェ・ジャポーネという機能が搭載されている。デロンギの公式ホームページによれば、本機能は日本向けのエスプレッソマシンの一部に搭載されており、豆を蒸らして抽出する間欠抽出機能や豆の二度挽きなどにより、「エスプレッソの旨味とドリップのキレを融合した香り豊かなドリップ風コーヒー」が作れるという。どうやら、日本人とイタリア人では、コーヒーの味に求めるものが違うようである。
2. エスプレッソ発祥の歴史
エスプレッソの原型が登場したのは19世紀。ナポレオンの大陸封鎖令によりフランスの植民地にイギリス製品が入らなくなった結果、砂糖やコーヒーが不足することになった。イタリアにおいても事情は同じであり、ローマの老舗カフェ・グレコ3代目オーナーのサルヴォーニはそれまで出していたコーヒーの量を3分の2にして価格を下げて提供し、お客さんに受け容れられて姉妹店を数多くオープンさせた。これが今日のエスプレッソにおけるデミタスカップでの提供のはじまりである。
それから今日に通じる、機械により気圧をかけて濃厚なコーヒーエキスを抽出するエスプレッソマシンは、1884年、近代イタリアの統一運動の核となった都市トリノのアンジェロ・モリオンドが開発、パリで国際特許を取得し、17年後、ミラノのルイジ・ベゼラが技術的改善を施して普及していった。必要は発明の母というが、素材不足をカバーする工夫が結果的に今や世界的に浸透したエスプレッソドリンクの文化を育むきっかけとなったのである。
こうして見ると、エスプレッソは近代生まれの、まだ歴史的に若い飲み物であることがわかる。とはいえ、これだけでは先の疑問に対する解答にはならないだろう。
3. エスプレッソを飲もう
何かを執筆するとき、家のなかに籠るのが苦手な筆者が上野周辺をさ迷っていたある日。道中、おすすめコーヒーの立て看板が目に留まった。目線を上げると一件のカフェがあり、入り口脇のショーウィンドウごしに焙煎機が置いてあるのが見える。押しボタン式の自動ドアをくぐり、カウンター席の隅に腰かけてメニューをめくっているとエスプレッソがあった。
ダブルショットを注文して数分、デミタスカップに六分目くらいの量のエスプレッソが出てきた。まずはそのまま口に運んでみる。油脂分をたっぷり含んだクレマが舌上を覆い、ロースト香とともにパンチの利いた、やや尖った苦味と酸味が襲ってくる。まずまず悪くないが、味全体のバランスはよくない気がする。(だから、エスプレッソは苦手なんだよなあ……)などと、胸中でぼんやりつぶやいていると、グラスを拭いていた初老の店主が「コーヒー、お好きなんですね」と話しかけてきた。「そうですね、よく 飲みます」などと会話をしていると、外国人客についての話題になった。
「この辺は繁華街なんで、ヨーロッパやスペインのほうからいらっしゃるお客様も多いんですけど、だいたい皆さん砂糖を入れますね。多い人はスプーン3、4杯も」
へえ、そうなんですね。などと応えながら、そういえば、コーヒーをブラックで飲むのは日本人くらいのもので、海外では砂糖を入れるのが普通だと聞いたことがあるのを思い出した。ふと、卓上のシュガーポットからグラニュー糖をスプーンひとさじ掬いあげ、いまだキャラメル色のクレマに覆われたエスプレッソの液体に放り込み、十回ほどかき混ぜてみた。カップの底のざらつきを感じなくなった頃合いでスプーンを上げて、あらためて味わってみる。すると、苦味と酸味の角が取れ、調和のとれたものとなった。また、風味にも少し、アプリコットのようなニュアンスを感じ取れるようになった。砂糖と組合わさるだけで、こうも変わるものか。やはり、エスプレッソは砂糖を入れて完成される飲み物なのだと実感した。
これは筆者の偏見だが、日本人にとって、アレンジドリンクでない単体のエスプレッソがドリップコーヒーに比べて親しまれにくい理由には、濃度への慣れといったこと以外にも、こうした「砂糖を入れることを前提とした味作り」に馴染みがないことも考えられるのではないだろうか。
4. 日本人はブラックコーヒーがお好き。
だいぶ古いデータで申し訳ないが、2004年の全日本コーヒー協会による統計調査によれば、レギュラーコーヒーの飲用方法のうち、ブラックと回答したのが調査対象のうち41. 6%という結果が出ている。それだけ、日本ではブラックでコーヒーを飲むのが 普通のこととして日常に浸透しているということであろう。
コーヒー専門店も、その理論や技術には様々なものがあり、百家争鳴と言ってよいありさまだが、多くの場合(京都のイノダコーヒーなどの例外こそあれ)、「ブラックで飲んでこそ真価を発揮するコーヒー」を志向する傾向にある。先に紹介したデロンギの「カフェ・ジャポーネ」についても、残念ながら試飲するきっかけを得られなかったものの、おそらく「ブラックで飲んでもおいしい抽出バランス」 想定して作られてるのではないかと筆者は推測する。
また、日本人は砂糖消費量も世界的にみて少ない傾向にあるようだ。2005−6年度の国際連合食糧農業機関(FAO)による統計調査によれば、2001–3年の間における世界各国の国民1人1日あたりの砂糖消費量は、ブラジルの533kcal やニュージーランドの528kcal に対して、日本は188kcal と少ない。また、最少消費量は中国で、66kcal 程度であるとのこと。
では、なぜ日本では「ブラックコーヒーを飲む文化」が定着したのか、その理由についてこれから考察する。
5. 日本とイタリアの喫茶文化の差異 ~ひも解くカギは歴史にあり~
日本の喫茶文化において、もっとも歴史的に馴染み深いのはお茶である。それは、世界で最も歴史ある茶の文化を持つ中国の影響を受けながら形成されたものだ。
日本に茶葉が伝来したのは平安初期、遣唐使らによってもたらされたとされる。当時のこれは団茶という保存と運搬にすぐれた円形の茶葉の塊であり、発酵したお茶であったため水色は茶褐色をしていた。茶の国内栽培は天台宗の最澄が祖であるとも、華厳宗の明恵が初であるとも言われる。その後、時代が進むにつれ緩やかに下の階級にも浸透し、栽培や製茶の技術も改良されていった。今日の日本人に親しまれる緑茶は江戸中期、茶業家の永谷宗円が「宇治製法」という製茶法を確立したことで登場し、広まったとされる。そういう意味で緑茶は、日本の歴史において比較的最近になって登場した飲み物といえよう。
中国の影響は日本の料理体系の形成じたいにも大きく作用しており、平安時代、中国の料理文化が日本古来の神饌料理に取り入れられ、大饗料理という貴族の儀式向けの料理様式の形成に影響を与えた。これは、先の砂糖消費量の統計において日本と中国が似たような傾向を持つことの歴史的な裏付けにもなるだろう。
このように、日本人は料理文化全般の形成過程において中国の影響を受けているために、個人差はあれど比較的あっさりとして素材の味を重視したものを高級とみなし、特に茶の影響からコーヒーにも透明感と雑味のなさ、無糖でも賞味に耐 えるものを求める傾向にあるのではないかと考えられる。
転じて、イタリアにおいて普及しているコーヒーの文化の源流はトルコにある。トルコのコーヒーといえば、「イブリック」と呼ばれる鍋で煮出す抽出法で、カップに注がれたドロドロの上澄みを飲むというものであるが、17世紀ごろから砂糖を加えて飲む文化が始まったそうである。これをヨーロッパの商人たちが自国に輸入し、独自のかたちに発展させたというわけである。イタリアへは、フランスを経由して伝えられたようだ。コーヒーの抽出方法も、トルコの素朴な煮出し方から布袋に入れて煮出す方式などへと次第に洗練されていった。
イタリア料理は地域によって違いがあり、北部ではバターやチーズを使ったものが目立つ。それに比較して南部はあっさりした印象はあるもののオリーブオイルを多用する。日本や中国に比べると、ややこってりしている印象である。
また、そもそもヨーロッパ世界に喫茶文化が普及したのは驚くべきことにこの17世紀ほどからである。お茶については当初はオランダ、英蘭戦争後はイギリスの東インド会社が貿易によってもたらした。特に、イギリスは「武夷」と呼ばれる中国は福建省の半発酵茶を主に輸入していたので、後のヨーロッパ世界における紅茶文化の下地を作ることとなったわけである。今日におけるもう一つのお茶の主要産地であるインドでの栽培はなんと19世紀、アッサムという在来品種の発見まで行われていなかったとされる。それまではもっぱらワインなどの酒類が主な嗜好飲料であったようである。
また、イタリアを含むヨーロッパ圏の水がおおむね硬水ということもあり、紅茶やコーヒーを淹れるうえで不利な環境にあることも事実である。比較的こってりした、味と香りの濃やかさを重視した食文化と喫茶に不利な水事情とが、濃く淹れたコーヒーにたっぷりと砂糖を入れて楽しむ文化の背景にはあるのではなかろうか。
6. おわりに
なぜ、日本人はコーヒーに砂糖を入れないのか…… 。こんな、言葉にすればとても素朴な疑問でも、確からしい理由を見つけようとすれば、底抜けに広くて深い世界の歴史と文化をめぐる知の冒険が待っている。筆者自身、予備知識をあまり持たない状態から、体当たりでこのテーマに取り組んだが、目から鱗の発見と驚きばかりであった。それが、ほんの少しでも読者諸氏に届いてくれたならば幸いである。