先日、東京の友だちから仕事の斡旋を頼まれた。
なんでも、彼の友人が今年4月から関東の地元企業に就いていたものの、家族都合により急遽京都へ移住が決まったそうで新しい働き口が見つかっていない、あるいはまだ探せていない状況にあるらしい。
もちろん、ワーキングプア階層に甘んじる僕に2重の意味でホワイトな会社を勧められる知己などあるはずもなく、友だちには力不足を伝えて丁重にお断りした。
大学卒業後、内定先の企業に就労してすぐの京都移住だから年上の恋人の転勤にあわせてだろうか、働く場所の自由すらないなんて……とつらつら想ってみたが、冷静に思い返すと4年前の僕も似たような時期とタイミングで年下の恋人を追いかけて京都へ移ったのだった。
その友人と同じように当時の僕にも正規雇用の働き口が用意されていたわけではなかったが、実家に留まることも東京でひとり暮らしすることも選択肢にすらあがらなかった。
理由は色々あるが、まあ、労働観の違い、あるいは社会常識からの逸脱であってそれはまた別の機会に譲ろう。
今回は質問箱だ。
コチラに寄せられた質問――なぜ今も京都に住んでいるのか?
勤め先に京都へ転勤を命じられたわけでもなく、ましてや就職ないし勤続したい会社が京都にあるわけでもないなら何故東京に帰ってこないかとたしかに普通は疑問に思うだろう。
ああ、良い質問ですね。
大事な内容なので今日明日中にブログ記事にてお答えします。 #peing #質問箱 https://t.co/SnXRE0jlFI— 羊谷知嘉 Chika Hitujiya (@hail2you_cameo) 2019年6月7日
1.自転車圏内に良いお店が多い
京都、といってもまずは京都市、それも伝統的に洛中と呼ばれる範囲のグルメ事情に絞って話そう。
批評が生き方として染みつくと当然食べものにうるさくなる。
僕は今、東山の三十三間堂付近に住んでいるのだが、徒歩15分圏内で安くて美味しいお店を、それも東京都内ではそうカンタンにはお眼にかかれない質のお店を思いつくままにいくつか挙げてみる。
大事なことだからもう1度書こう――徒歩15分圏内だ。
Cafe Nido
家庭的でかつ上品な味わいながらいくたびに料理が美味しくなっている真摯なイタリアンカフェ、ここの自家製パンは非専門店だからといって舐められない非常な美味しさ。
via. 今週のパスタ&ビストロランチ です!
ドラゴンバーガー
ロンドンの若手有望シェフのコンテストで優勝経験もあるアダム・ローソンにレシピ作成を依頼した和風グルメハンバーガーカフェ、新商品がでないのが玉に瑕だがそれでも絶品には変わりない。
via. ドラゴンバーガー|京都 東福寺
ギャルソン クレープ
客室乗務員出身のオーナーとだけあって低価格ながらもホスピタリティに溢れた接客で暖かく迎えられるだけでなく、本場ブルゴーニュで幾たびも何年も修業したその味わいと食感はまさに美味のひとことに尽きる。
via. ギャルソン クレープ
金沢まいもん寿司 京都ポルタ店
京都にしかないお店をこの流れでは挙げるべきだろうが、チェーン店であろうとなかろうと美味しいものは美味しいのだから仕方がない。築地の名店にも勝るとも劣らぬ回転寿司屋といえばここしかないだろう。
via. 金沢まいもん寿司 京都駅ポルタ店
via. 金沢まいもん寿司 本店
いかがだろうか。
もちろんここに挙げたのはほんの一例で、徒歩15分圏内縛りでいくなら、京都醸造のクラフトビールとミシュラン級の肉料理を楽しみたいときは以前紹介した”祟仁新町”、お好み焼きなら知る人ぞ知る”よし乃”、スパイスカレーと唐揚げが食べたいときは”アジパイ”、スイーツバーで夜を過ごしたいときは”ビゾンフュテ”とまあ、枚挙に暇がない。
もし、検索条件を自転車15分圏内にまで拡げるのを許すなら、グルメスポットとして有名な祇園、岡崎、四条烏丸、御所南も射程に入るため気軽にいける名店リストはその裏までびっしりと埋まってしまう。
あなたのお気に入りのお店は自宅から徒歩15分圏内に何件あるだろう?
自転車15分、自動車15分圏内なら2桁を越えるだろうか。
オーケー、もう少し京都ネタでマウントをとることを許してほしい。
たしかに東京23区内なら広尾や神楽坂などにはそうしたグルメ密集地帯もあるかもしれないし、大阪や福岡ならこれを凌ぐホットスポットがきっとあるはずだ。
だが、僕の自宅から徒歩15分圏内にはさらに国宝級の建築物が4つか5つほどある――収蔵品ではないためいつでも気軽に楽しめる国宝が近所にあるという意味――国宝指定はされていないが重要文化財に指定されている俵屋宗達の襖絵や杉戸絵も気軽に鑑賞できることも併記しよう。
犬も歩けば名品名店にあたる――日本国内にそんな場所は京都をおいてほかにないはずだ。
養源院
養源院はけっして有名観光スポットとして知られているわけではないが、近世の大画家・俵屋宗達の出世作を気軽に鑑賞できる通好みのお寺として愛されている。
via. 京都「養源院」で俵屋宗達の絵を見る
via. 養源院紀行
2.寺社仏閣など霊性の高い場所が多い
今更ながら断っておくと、以前、ワープア美食批評家のぴゅくむく氏による愛宕山と平野屋の紹介記事を載せたように、普通は洛外と呼ばれ、ときに洛中の(正確には下京・中京にむかしから住んでいる)ひとたちから差別も受けるという嵯峨もその文化度と土地の霊性の高さには眼を瞠る。
実際、南は宇治上神社、西は出雲神社、北は上賀茂神社と、普通は洛外と呼ばれる辺境にも、現代でも交通アクセスの問題からかあまり観光スポットとして知られていない良い場所と建築が多い。
自宅から徒歩15分圏内で挙げるとしたら国宝の唐門で知られる豊国神社だろう。
豊国神社
豊国神社の有名な唐門は、秀吉の今は亡き伏見城の遺構を南禅寺から移築したものと伝えられている。
via. 豊国神社で結婚式 京都
京都に引っ越してきて僕が失ったものは少なくない。
いくつかの友人関係が明確に失われたことは肌で感じるし、そこから生まれたであろう2次、3次の人間との繋がりを考えたら僕が想像するよりもひょっとしたら大きいかもしれない。
だが、京都に来たからこそ得られたものもまた同様に大きい。
そのひとつは土地の霊性という考え方だ。
今回の記事はあくまで京都の魅力はなんぞやという問いに答える内容なため霊性という概念に深く踏みこみはしない――が、ひとことでいえばそれは、土地、あるいは場所を批評的に観る場合のひとつの軸だ。
京都はいうまでもなく寺社仏閣が多いが、そのなかでも良いものと悪いものがやはりあり、数少ない本物と数多の偽物という玉石混交の図式からは免れていない。
そして、大体の場合において――ということは例外もあるわけだが――素晴らしい寺社は良い土地の上に作られ、その建築やお庭と同様に人間の手入れの力でその良さと傑出を連綿と保ち続けている――逆もまた然りだ。
たとえば、これまた徒歩15分圏内に位置する9世紀開祖の泉涌寺は、東山の中腹という心地良い高さの土地を砂利石でキレイに整備した上に成立するマイナーながらも美しいお寺だ。
批評的にいえば、日本の神社を成立させる土地の信仰と寺の文明性がうまく噛みあった稀有な例、と書きたいところだが、これ以上のことは今後更新していく僕の霊域批評に期待してほしい。
泉涌寺
泉涌寺は、交通量の多い今熊野商店街から少し東山を登ったところにあり、近所の幼稚園児や小学生の声が参拝中にもほの聞こえるという聖俗がおもしろい噛みあい方をした場所にある。
via. 泉涌寺
土地を批評するという考え方は地平線の先まで住宅街がうねるように続く首都圏では学びえないもので、土地を歩き、愉しみ、批評し、良いものを愛することが身に付いた今ではかつて暮らしていた場所には息苦しさと方向感覚を失う眩暈を感じる。
市中を流れる整備された河川もなく、気軽に観にいける素晴らしい建築や美術品もなく、交通費をかけずに通える範囲内に色々な良いお店があることに慣れると、余程の理由がないかぎり首都圏にもどりたいとはだれも思わないだろう――物とひとと金と情報が集約される東京の良さはもちろん百も承知だが。
ひとの生き方は自由で、その死に際の覚悟の仕方を他人がとやかくいう権利はないと僕は考えるが、人間の一生のうちで長く暮らす土地、それも自分が選んで住むことができる土地の数などたかが知れること踏まえると、自分の居住地を企業にゆだねるあり方はかならずしも賢明とはいえない。
もし、あなたが素晴らしい文化財と美味しいもの、そして、日常から一線を画した霊域を好むなら京都はきっとお気に召すはずだ。
移住とはいわないまでも、長期休暇や休職期間中に1、2週間滞在するだけの価値が十二分にあることは僕が保証しよう。
想像してみてほしい。
僕が本記事中で画像掲載したものはすべて徒歩15分圏内にあることを。
近所にあるものを効率重視で愛でるも良し、自転車15分圏内にまで足を伸ばして名店名品を探しにゆくも良し……京都の愉しみ方はひとそれぞれだが、素晴らしいものを知る良い眼のあなたにはあまりに広い遊び場になるはずだ。