ネカフェ店員専用火炎瓶 取扱説明書
※ 使用者の声 前編(埼玉県在住 学生 23歳男性)―― amazonより抜粋
ガラス瓶にガソリンをたんまり注いで粉石鹸を足し、酸化第二鉄とアルミの粉をちょいとそれに混ぜれば線路も融かす火炎瓶の出来上がり、と『ハムレット』の5万字レポートのあたまに書いてしまい、すぐさま正気にもどり消したのです。
はじめてお目にかかるということで、プルーストの長編のごとく滋味と含蓄に富んだレビューを書きたいのはやまやまなのですが、大学卒業に必要な7つものレポートを仕上げるため、ねむりという人間最大の権利を棄ててからはや一週間。序論、本論、結論、序論、本論、結論……と定型を何度も繰り返すさまには創造性や探究性のかけらもなく、どちらかというと、ベルトコンベアに載って流れてくる山×パンの包装バイトに近い虚しさがありますね。それでいて、ドラ×ンボールみたいに7つ集めても、願いのひとつ叶うどころか、そのときには新たなノイローゼ患者が地球上にひとり誕生しているだけなので、もはや達成感も救いもありゃしません。
それはそうと。
当方、火炎瓶をつねづね欲していた……、いや、というよりも、生涯で火炎瓶をみっつ投げられる権利が咽喉から手の出るほど欲しかったのです。もし本当に手にしていれば、ひとつめはあぶない武器の作り方をググらせるくらい精神に悪いレポートを課した大学に、ふたつめはひっきりなしにやって来るホームレスのせいで××市の臭い玉と化したバイト先のネットカフェに、みっつめはまだ考えてないけれど、どうせいつもみたく人間関係の不順やら何やらで、就職予定先のIT屋に投げ込むことになるでしょう。そんなふうに、世の中こんなに燃えた方が良いものばかりなのに、しかし哀しきかな、そんな勝手は法が許さない……。
何にせよ、お手軽な炎の持ち歩きが我が身をたすける御時世です。ほぼ先入観に過ぎませんが、現代社会という何かよくわからないけど強大な敵と日夜格闘している方々向けに、生存率を高めるかもしれない知恵という火炎瓶を多種多様に取りそろえているのが、本製品の発売元、Engineerismさんなのでしょう。
学生闘争のイメージが強いのか、古臭いだのダサいだの野蛮だのと忌避されがちな火炎瓶とはいえ、侮るなかれ、その殺傷力と手軽さは眼を見張るものがあるのは間違いありません。たとえば、つい最近の香港で民主寄り新聞社の会長宅に投げ込まれたのも、おフランスはシャ×リ・エブドのオフィスを煌々と燃え上がらせたのも、御察しのとおり火炎瓶なのですから。『ネカフェ店員専用火炎瓶』は、まさしく小さいながらも驚くべき破壊力をもった武器(知恵)に他ならず、ネカフェ店員はふところに忍ばせておくだけで一安心、使わずとも持ち歩くだけで心を落ち着かせて働ける、いわば精神安定剤としての役割も兼
【燃料がわりの死んでも役に立たない豆知識 ―― 開発者の場合】
1 栗の花のようなとか烏賊のようなとか、ときには腐ったマッシュルームみたいと言われる精液の匂いの正体はカダべリンという化学物質で、その語源は「死体のような」を意味する形容詞、cadaverousであるらしい。
2「死体のような」なんとも言えない異臭を発し、恋人、または××××フレンド以外にけっして見せてはならないと社会的にされている精液は、ここだけの話、われらの十倍鼻のきく犬の大好物で、飼い主の制止などまるで馬耳東風、床に零れているそれを舐め狂っていたという報告がありえないくらいネットに溢れている。
(ちなみに、私の働いていたネットカフェでは、フロアが上下階に分かれているうえにエレベーターも下の階に止まらないという欠陥を抱えていたので、移動時には非常階段を使わなくてはならず、そこから隣のビルに飛び移り逃走をこころみる未払いの客もそれなりにいた。幸いにも転落事故はまだ起きていないようだが、「死体のような」という比喩ではなく、本物のソレの匂いの拝める日はそう遠くないのかも知れない。)
3 そんなカダべラスな香りゆえ人間に嫌われ犬に愛される精液は、注意深く嗅いでみると気付く程度の独自の匂いをそれぞれ持っていて、酸味が下手につよすぎてバランスの悪くなったスプリングバレーマウンテンみたいなものから、嗅いだとたんに脳みそが痺れる美味しいマンデリンのように濃厚なものまで、その種類は実に様々である。
4 なぜ私が精液の匂いの微妙なちがいを知ってるかといえば、ゲイだからとか犬レベルの並外れた嗅覚の持ち主だからとかではなく、単にネットカフェで働いていて、アダルトサイトや連れの女性を使って吐きだした客の精液の後処理ばかりしていたからだ。
それらまるで役立たずな蘊蓄が何に化けるかといえば、言うまでもなく破廉恥な客を懲らしめるために必要な怒りと行動力である。心臓なしで脳が動かないのと事は同じで、知恵は行動によって真価を発揮する。とはいえ、ここに挙げたのはもちろんあくまで私個人の燃料であり、店員の数だけ燃料もまた存在することもゆめゆめお忘れなく。
【開発者から使用者に向けて ―― 開発背景という名の与太話】
客の狼藉をなげく以前に、そもそもネカフェの運営側も困ったことにかなりの無法地帯であるのが現状だ。
店員の眼をしのんで自家発電にいそしんだり、後ろめたい気持ちになりながら恋人とこっそり××××しているみなさんに朗報だが、あなた方のそうした悪事の現場が差し押さえられることは、店の方針によりけりとはいえ、おそらくあまりないはずだ。規約には即退店と書いてあるのになぜ実行しないのですか、と、働いていたころ店長や同僚に聞いたことがある。いわく、店としても客とのごたごたは出来るかぎり避けたい。リピーターを増やしたい。評判を落としたくない。きみの正義感は、安さを売りにし、ホームレスや犬猫、とにかく出すもの出せばどんな客でも受け入れる我が店には不必要だから、都内の高級店にでもフリーエージェントしたらどうかね、とのことだ。その出来事を契機に『ネカフェ店員専用火炎瓶』の開発をはじめたのは言うまでもないだろう。
そして、元ネカフェ店員の知人も、店舗巡回中にそうした客の存在に偶然気付き、カップルのいとなみを手持ちのトランシーバーで同僚にちくいち実況報告していたという。運が悪いとそんな悪趣味な遊びのおもちゃになる程度なので、これからも安心して恋人の股ぐらに手なり顔なり棒なりを突っ込んだり突っ込まれたりしてもらいたい。次章のように、私の製品が火を噴くのを身をもって知りたければ。
【使用方法 ―― vsカップルのお客様のケース】
1 受付時に過度な愛想を振りまいたり嫌悪感を表したりせず、普段と同じように部屋へご案内してください。無関心を装うことで相手に警戒心を抱かせないことが重要です。
2 お客様が部屋に入られたら、店員もすぐに隣の部屋へ滑り込んでください。コトがはじまるとお客様の聴覚は敏感になり、ちいさな足音ひとつでも警戒するようになります。
3 淫らな行為がはじまるまで、隣の部屋の物音に耳を傾けながら静かに待ってください。(いつはじまるかは、物音の質とリズムの変化で見極められます。はじまるまでの物音は主にひそやかな会話と笑い声であり、そのリズムは基本的に一定です。今まで続いていた会話と淀みないリズムが崩れはじめ、かつ、衣擦れらしき音を聴きとったら、そろそろ行為がはじまるとみて良いでしょう。)
4 行為がはじまると、お客様は怪しまれないよういかなる物音も立てまいと躍起になるので、音が不自然に途切れたら静かに待機場所をあとにし、お客様の部屋の扉を数回つよくノックしてから、はきはきとした声で「申し訳ございません。当店では『淫らな行為』を禁止しております」と告げてください。
(当製品を使い慣れている上級者は、『淫らな行為』の部分をワンオクターブ上げるなりビブラートを利かすなりして強調することで、相手に罪の意識をよりふかく植え付けられるのですが、とりもなおさず、それには高度な技術と多様な場数が求められるので、初めての使用者は明朗な声で告げることだけを意識すると良いでしょう。)
【警告】 使用時の『自爆』について、当社は一切の責任を負いかねます!
※ 使用者の声 後編(埼玉県在住 学生 23歳男性)―― amazonより抜粋
……と、霊的な夢想より生ける実存を、そして偽善的な自己欺瞞より知恵そのものを重んじ、万難辛苦を無批判に受け入れるよりもしかるべき報いを対象に与えよという悪魔教会の信条が、人情も道理もないこの荒んだ現代にいかにマッチしているかを500行にわたり書いてきました。そのサタニズムの血をお継きになられている方こそ、悪のカリスマにして稀代の報復バンカー、半×直樹さんではないでしょうか。
それはそうと。
前置きが少々長くなってしまいましたが、正直300行目くらいで「あれ? もしかして本筋とまるで関係ないのでは?」と薄々気付いていましたが、しかしそれでも、費やした時間と労力と、現実にもどれば悪魔的な量のレポートに出迎えられることを思うと消すに消せずにすべて書いてしまいましたが、そろそろ本題の体験談レビューに入らせていただきます。
当方の使用した『ネカフェ店員専用火炎瓶』は自分のではなく、先輩からの誕生日プレゼントでした。
カップルの使った部屋を掃除すると、人類の不快な体液を包んだティッシュに三割くらいの確率で当たるのですが、その度に壊れたオルゴールみたいに客の不作法を当方が嘆くのを見るに見かねたのでしょう。彼は、火炎瓶を、つまり事前策を授けてくださったのです。
先輩いわく、まだ試作版らしいけど威力は保障するとのこと。
一体全体どこで手に入れたのかと尋いたら、クリスマスの朝、起きたら枕元に置いてあったという怪しさ満点の返答をされましたが、お前にもはやくこの仕事に慣れてほしいからね、という有難いお言葉とともに当方に向けられたウィンクは、疑念を霧散霧消させるに足る煌めきを放っておりました。それにその方は、
[p2p type=”post_tag” value=”michel-houellebecq”]ミシェル・ウ×ルベック[/p2p]や吉×萬壱など、他人とは思えないくらい好きな作家が丸かぶりの文学徒であり、当方の唯一の理解者でもあったので、信用せずにはいられなかったのです。
それから、不逞カップルをしょっぴくセックスGメンに変貌し、様々な狼藉を裁きはじめてから何日か経ったある日のこと、洗濯したブランケットを干しにベランダに出ている間に怪しげなカップルが入ったらしく、「張り込んで来てくれないか」と先輩に頼まれたのです。ふたつ返事で先輩の命を了承し、事件現場へ颯爽と向かい、火炎瓶を炸裂させるためのいつもの手順をしっかり怠りなく踏み、衣擦れの音が聞こえるやいなや待機場所を飛び出し隣の部屋の前に立ち、扉を数回叩いて間髪入れずに弁天小僧の見得みたく堂々と例の台詞を告げたのでした。
しかし、当方の開いた扉の向こうにいたのは、まったく想定外の、みすぼらしい身なりをした老夫婦であり、女は座ってパソコンで何かを観ており、男はズボンを着替えながら怪訝な眼でこちらを窺っていたのです。若年性痴呆症みたいに勃つことを忘れた息子のせいで女性にフラれ続けた当方みたいな若者もいれば、精神と脳が息子にあるのではないかと勘繰りたくなるくらい元気な老人もいるのでしょうが、まさかいい年こいてこんな場所で盛かるなんてことは有り得ないでしょうから、どう考えても当方の勘違いです。この場を借りて謝罪いたします。申し訳ございませんでした。
その後のことは書くに及びません。老夫婦から店長に「大変恥ずかしい思いをした」というクレームが入り、それからというもの、シフトは徐々に減らされ、同僚たちには腫れ物扱いされ、おまけに先輩も最初から存在しなかったかのように風のごとくどこぞへ消え、いまの当方は休職状態です。
そういうわけで、安全性という面で本製品はおおきな問題を抱えているので、大変心苦しいのですが、星1つとさせていただきます!