クライストチャーチで銃乱射事件が起きたとき、僕はその日はじめたMTGアリーナの情熱も冷めやらぬまま労働前の睡眠をとろうと苦労していた。
もちろん、50人近い信仰者の命を奪った残忍なテロが起きたことも、24時間後、青緑のマーフォーク・デッキを手にした恋人に完膚なきまで繰り返し敗北を喫することも予想だにしていなかった。
襲撃を知ったのはその3時間後、彼女がひとり泣いていたからだ。
日本のFPS(1人称視点のシューティング)プロゲーマーが、リロードの隙や遮蔽物を使って巧く立ち回れと宣っていたように、例のテロリスト、ブレントン・タラントの配信動画はFPSプレイヤーにとって馴染み深いものだったに違いない。
倒れた相手の体に銃弾をさらに撃ち込んで「確殺」を入れる様はまさにPUPGが流行らせたバトルロワイアルの戦闘そのものだ。
実際、フォートナイトが自分を殺人者として鍛えてくれた(死体の上でダンスエモートを入れて相手を煽ることも)と、襲撃前に公表したマニフェストでタラントは語っている。
今回のクライストチャーチ虐殺テロ事件は昨今盛り上がりつつあるデジタルゲーム文化に大きな影を落とすだろう。
ひと、あるいは人を模した代替物を撃つというゲームジャンルが抱える暴力性を忌避し非難することに対し、ゲーマーやその産業の従事者はどんな抗弁を主張できるだろうか。
僕に今できるのは日課のエイムの練習と Apex Legends ではなく、MTGの勉強だけだ。
FPSはあの襲撃配信と共に死んだ。
このスティグマを清算できないなら、そう語られる日がいつか来るかもしれない、僕は本気でそう考えている。
*この記事では、スタディアのゲーム開発者と未来のコンテンツ、そのシェア機能が与える文化的影響については不勉強なため無視します。
今度のスタディアで、だれが、何を、できるようになるのか。
ひとことでいえば、全てのひとの普段使いのデバイスがあたかもハイエンドゲーミングPCに変身したかのようにいつでもどこでも遊べるようになる――グーグルの超高性能なクラウドサーバーの力を借りることで。
説明しよう。
ゲーマーの世界にはいくつもの深い海溝が横たわっている。
オンラインゲームではサーバーの所在地がプレイヤーを地域別に分け、フォートナイトやPUBGがようやくソニーとマイクロソフトの溝を越える草分けになったばかりだ。
しかし、ゲーマー海溝の最たるものはPCゲーマーとその他を分けるハードウェアのコスト差だろう。
もともとはPCをメインに据えたコアゲーマーとプレステや XBox といったコンシューマ機のCSゲーマー、最近ではスマホを使用するモバイルゲーマーとの越えがたい深い溝だ。
というのも、CS機であれば3万円強も初期投資があればソフトを買い足すだけで遊べたものの、ミドルレンジのゲーミングPC一式を揃えようとすると12〜5万円はかかってしまい、余程の気合いの入ったひとでないと、世界各国の個性的なインディーゲームを掘ったり世界中に競技シーンをもつタイトルで日夜凌ぎを削ったりするコアなゲーマーにはなれなかった(格闘ゲームは例外だろうが)
日本の場合、1980年代後半からのドラゴンクエストやファイナルファンタジーに代表されるいわゆるJRPGブームにより、PCゲームに親しむ親世代が形成されなかったことでこのハードウェアの溝はより深刻な事情があった。
実質無料で始められるモバイルゲームはもはや言及するまでもないだろう。
たしかにシンガポールの Razer や台湾の Asus が驚異のスペックを有したゲーミングスマートフォンを発売し、多少の可能性は感じさせたものの、PCやCSで発売される話題作、ましてやAAAタイトルがモバイルで同時発売されることはありえないため、モバイルゲーマーはソフトの面でもより一層分断されているといえる。
要するに、ハードウェアの初期投資にどこまでお金をかけられる環境ないしゲームへの情熱があるかで、PC・CS・モバイルの住み分け(もちろんハイブリッドもいる)がなかば強制的になされていた。
次世代の巨額のブルーオーシャンとグーグルがみなしたのはこの初期投資の溝だ。
グーグルは魅惑する。
もし、YouTubeで今視聴中の動画をワンクリックするだけでそのゲームをいつでもどこでもはじめられたらどんなに素晴らしいだろう、ディスクの読み込みやダウンロードもなしに、と。
それも、最低ラインが4K・HDR・60FPSという従来はハイエンドPCにのみ許されていた高品質の映像クオリティでだ。
一部の層が占有していた「力」をより多くのひとたちが手にできるようにすることを、革命と呼ばずして何といおう?
グーグルはすでに自社のゲームスタジオを発足させ、ゲーム開発者用のハードウェアを世界中のディベロッパーに配布しはじているだけでなく、グラフィックデザインを簡単にする機械学習を用いた開発ツールも同時に発表した。
さらに、スタディアの超ハイスペックを前提にしたVRとAR(正確にいえばより発展したMRか)の新規開発とその広い普及こそが彼らの大本命なことは想像に難くないように、彼らの展望はゲーム業界に革命を起こすだけでなくそれを通じて人間と現実のリアリティを変え、完全に新しい分野を創りだし独占するところにある。
ゲーミングプラットフォームはその礎なのだ。
このグーグルの総力戦の感を醸した意気込みをみれば、ゲーマーではないあなたにも「ゲームが覆う未来」という次世代の有り様が垣間見えるはずだし、僕が3、4年前にPCゲームという未知の分野に飛び込んだ理由もわかって頂けると思う――まあ、結果的にはね。
ゲームはもはや、今更だが、文化的に軽視できるものではないのだ。
考えてみてほしい。
今度のスタディアに有力な競合はいるだろうか?
ウォルマートという斜め上の刺客の噂が海外では流れているが、欧米圏最大の配信プラットフォームを有しかつAWSというクラウドサーヴィスを収益構造の根幹に据える Amazon はその筆頭に挙げられるだろうし、同様に Azure とXbox live をすでにもち、MRヘッドセットの Hololens2を最近発表したマイクロソフトもそう簡単にはグーグルの独占を許さないだろう。
GAFAMと呼ばれるビッグ5の残りの企業――Facebook と Apple がどう出るかはわからないが、最近のゲーム業界で恐竜のように暴れている中国のテンセントも黙っていないだろう。
安直なディストピア小説が陥りがちなひとつの企業や政府組織が世界を掌握するイメージは現実にそぐわない。
複数の企業や政府組織――たとえそれが直感的に少数と感じられてもその競争が技術革新と普及のプロセスを生んで現実を容赦なく変えていくのだ、そう、無数の混乱とともに。
この記事では深く立ち入らないけども、排外主義は要するに急増する多様性により惹き起こされる感情的なショック反応であり、防衛本能とさえいえる。
僕は深夜のコンビニ店員としてほぼ毎日アジア圏の観光客に接して嫌な思いをすることも少なくないし、前職では中華系とはまた違った意味で自由奔放な欧米系の観光客にずいぶん困らされた。
そもそもをいえば、職場の同僚の半分は外国人で、カタコトの日本語と英語を交互に使って会話している。
チーム対戦型のオンラインゲームをやったことがあるひとなら、他人と目標を分かちあい協力することがいかに難しいか嫌というほど知っているはずだ、言葉が通じなかったり文化圏が違うひととならなおさらだ。
重要なのは、ほどほどの壁を作って多様性の増減をコントロールできるようにすることだろう。
それは、2016年のアメリカ総選挙でトランプ現大統領が公約に掲げた物理的な「壁」や、クライストチャーチを武装襲撃して発した拒絶の示威行為というメッセージの「壁」のように、ひとびとの感情に訴えかけるような象徴的なものではない。
ただ、増大する流動性、多様性、不確実性にショックを受け真逆に振り切れないようにする調整弁が必要なのだ。
イギリスの脱EU路線の雲行きがかなり怪しいように、今日の緊密に絡みあった現実のなかでマクロなコントロールを期待するのは無茶同然なのだけども。
結局、混迷を極めた現実ほどよりマシな世界の見方を、複雑な現実を可能なかぎり複雑なまま写し、それでいてシンプルで使いやすい概念の構築物、つまりはより良い思想を人間に要求するものはないのだ。
だから僕は、クライストチャーチの犠牲者たちの冥福を祈りながらあなたに伝えよう、ゲームが未来を覆っていると。