動画視聴勢も「ゲーマー」だ
近年、ゲーム配信文化の隆盛とともに「ゲーマー」の裾野が急速にひろがってきた。
「ゲーマー」とわざわざ括弧付きで書いたのは配信文化の担い手がかならずしも実際にプレイする者にかぎらず、配信者や実況者のプレイングを観るのが好きな者、いわゆる動画視聴勢も含むからだ。
たとえば、4月に開催された『VALORANT』の世界大会 Masters 1 では日本代表の ZETA DIVISION が3位入賞という堂々たる成績をおさめたが、この大会の国内最大同時接続数は約41万人という驚異的な数字だった。
コンソールやモバイルでのリリースがまだないことを考えると、日頃からランク戦に潜っている「プレイヤー」に限らず、twitter のトレンドやネットニュースから日本代表の勇姿を観にきたひとや twitch でウォッチパーティー(運営からの許諾を得て観戦配信すること)中の配信者が好きだから一緒に観たという「ビュワー」も多いのは想像に難くない。
また、Crazy Racoon が定期的に開催する『Apex Legends』のカジュアル大会CRカップではだれが芸能人枠で参戦するか毎回話題になる。
6月4日に延期した第9回ではおなじみ?の山田涼介(Hey! Say! JUMP)にくわえて本田翼(女優・モデル)が界隈を賑わせたし、過去には井口理(KING GNU)や海沼流星(BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE)の参戦で知られている。
もちろん、彼ら彼女らの個人配信に集まるのはかならずしも「プレイヤー」にかぎらない。
配信者個人が好きだから視聴し、チャットで質問し、「プレイヤー」と思しき有識者が親切心からわかりやすく解説する……ゲーム文化の毒沼に浸かりすぎた者には微笑ましくも暖かに映る光景がそこには広がっている。
ゲーム配信文化の隆盛とともにゲームは「プレイヤー」だけのものではなくなった、もはやそう言い切っていいだろう。
この考えが少し過激に映るのは、ゲームタイトルを物語重視のADVやRPGで考えた場合だ。
ゲームのストーリーがオチまで通してよくわかる実況配信を観た後に、そのゲームをプレイしたくなりますか?
RPGやアドベンチャーなどストーリーを楽しむことが中心となるゲームの実況配信で、あなたはそのゲームを未プレイとします。— 下田 紀之|モトシモダ (@noshimoda) May 24, 2022
先日、あるゲーム研究者のアンケートが Twitter で話題になった。
個人的な考えをいうと、下田紀之のこの単純な2択では、経験の有無が組み込めず、作品・配信者次第なことも無視しているため、態度(実況配信を観たことはないが、実際にプレイしたくなる/ならない)と傾向(実況配信を観たことがあり、実際にプレイしたくなったことが多い/少ない)とが曖昧でこの問いに問題提起以上の意味があるとはおもえない。
しかし、興味深いのはこの件の解説記事を書いた AUTOMATON の編集長の筆の端々から、ゲーマーは「プレイヤー」であるべきだという思想がはっきり感じとれることだ。
実際、動画視聴勢の是非は時折話題になり、今回の反響の大きさからもこの界隈での問題意識の高さがうかがえる。
下田氏のフォロワーやAUTOMATONの読者は、積極的に自分でゲームをしたがるユーザーが多いと筆者は考えている(信じている)。
そして、執筆者は以下のように記事を締めくくる。
ゲーム実況を巻き込んだ体験共有型が人気を博すなか、ストーリー主体型のゲームはクラシックな形態のひとつになりつつある。そんな中でも、物語によってプレイヤーに感動や新たな体験を届けてくれるゲームが、今後も生まれていくのを願う人はまだまだ多いことだろう。我々プレイヤーが、そうしたゲームの存続に貢献できる有力手段は、ゲームを“買う”ことである。ゲームを買おう。
推察するに、動画視聴勢を作品に対価を支払わないゲーム文化のフリーライダーとする見方が根底にあるのだろう。
たしかに開発企業とユーザーの消費関係で考えた場合(パブリッシャーやプラットフォーマーは省略する)、そのうちのひとりが2次的著作物として実況・配信動画を公開し、購買意欲がある層の何割かから購入機会を奪ってフリーライダー化させることもあるにちがいない。
だがその反面、知名度や好感度で考えると、2次的な動画コンテンツ制作者の人気が高まるにつれ、本来リーチできないプレイヤーコミュニティの外にも作品と評判を広めていることは事実だ。
特に、最近主流になりつつある VTuber 方式ではイラストや声、性格、チャットとの掛け合い、他配信者とのコラボなど非プレイヤー的な要素が大きな魅力をかたち作り、4BR(PUBG で人気を博した元 DeToNator 所属の Stylishnoob、釈迦、SPYGEA、YamatoN の4人組)に代表される競技シーン出身の twitch 配信者が牽引してきたものとはまた違う場所で新たなムーブメントを起こしている。
たしかに、ゲーム関連の動画コンテンツの制作者とその視聴者がどれほどの直接的な購入機会を損失させ、どれだけの間接的な経済効果をゲーム産業にもたらしているかは専門的な研究を待った方がいいだろう。
しかし、コミュニティの外に社会があり、その関係次第で(日本)社会での印象と認知度が決まる以上、コミュニティの外部に強い訴求力をもっているコンテンツ制作者と彼ら彼女らのコンテンツを楽しんでいる動画視聴勢もまたゲーム文化の新しい担い手と認めた方が事実に即しており、その文化的意義は産業従事者と消費者間の直接的な消費関係では容易にはかれない。
現在のゲー厶文化は、『Apex Legends』にはじまり、『Fortnite』や『Minecraft』、『Dead by Daylight』などいわゆる配信者御用達の作品が「ゲーマー」の枠をプレイヤーの外に大きく拡げ、『Pokemon GO』などのモバイルゲームや switch の販売躍進で(「ビュワー」の対義語としての)「プレイヤー」もまたよりカジュアルで広範な層に拡がっている。
そのなかには XBOX のゲームパスのような定額制サーヴィスを利用したり、基本プレイ無料の作品を無課金で通したり適宜課金したりする「買わない」ユーザーも多いだろう。
「ゲームを買おう」という掛け声にどこかアナクロで場違いな響きを感じるのは僕だけだろうか。
思うにそれは「ゲーマー」の多様化のみならず分断化も急速にすすみ、ゲームという同じジャンル内であっても常識や価値観が大きくかけ離れ、つねに自分=コミュニティの正論が別のだれか=コミュニティには偏った意見に映る奇妙な歪みのせいだ。