他人の表現の自由をいかに認めて批判するか?
あいちトリエンナーレ2019の企画展『表現の不自由・その後』が中止に追い込まれ、名古屋市長や愛知県知事も巻き込んだきな臭い雰囲気を醸してきたが、マジック界隈でも批評家にはちょっと無視できないプチ炎上事件が起きていた。
ちなみにマジックとは、Magic: The Gathering というカードゲームの祖の略称で、何度か記事のネタに採りあげているので初耳の方はそちらをまず一読することを勧める。
さて、事の起こりはこうだ。
細川侑也、通称ゆーやんという僕のような新米組でも知っている有名な若手プロプレイヤーがいる。
彼は以前から、オレより戦績が低い○○が note で有料記事を書くなんて……と Twitter で名指しの苦言を呈していた。
ちなみにマジックはいわゆるマインドスポーツで、最近の大きな大会では優勝賞金として100万ドルが賭けられたこともあってか、プロプレイヤーのデッキレシピや戦術論を言語化したコンテンツには有料無料問わず高い需要がある。
もちろん、だれがコンテンツを作り、それに値段を付けようが付けまいが結局は作り手と購入者の問題なので、プロアマ問わず、細川の苦言に対して「いやいや……」みたいなやり取りも過去にはあったらしい。
そんな細川だが、1ヶ月程前に、イゼ速というマジック界隈では超有名な個人ニュースサイトの管理人を、カードラッシュというカードゲーム専門の通販会社のバックアップのもと引き継いだ。
このたび、イゼ速の管理人を務めることになりました。記事内でも書いているように、今までタソガレさんや皆様の手で築き上げてきたイゼ速イズムを受け継ぎつつ、新しいことにも挑戦して、より良い情報を皆様にお届けできたらと思います。皆様、よろしくお願いいたします。https://t.co/lse5RyqnZH
— ゆうやん/Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) June 30, 2019
そして先日、大方の予想どおり誤爆し、炎上した。
あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!111111111111111 https://t.co/sWKpf4KtLR
— Yuuki Ichikawa (@serra2020) August 6, 2019
ミシックチャンピオンシップバルセロナで使用したジャンドについてのデッキガイドを書きました。500円の有料記事となっています。よろしくお願いします。https://t.co/ZblM5zTmmh
— Tatsuhiko Ohki (@pinkbomwithaman) August 6, 2019
真面目に言うと誤爆よりも〇ー〇〇が前回原根君他に論破されて有料note投稿者に申しニキ(ざっくり言うと俺より弱い奴は有料note書くな)した事に対して改心した感があったのに結局それに対して一切の淀みなく変わっていない事の方が残念です。人間は変わらないね。
— Yuuki Ichikawa (@serra2020) August 6, 2019
注:市川佑樹さんはニコ生出身のプロプレイヤー、配信名の「瀬畑」で親しまれている。
せばたさん
— ゆうやん/Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) August 6, 2019
この度は不適切な発言を致しまして、誠に申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます。今後は細心の注意を持ってアカウント運営を行ってまいります。イゼ速を引き継いで間もない最中でこのような事態を招いてしまいましたこと、重ねて謝罪致します。
— ゆうやん/Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) August 6, 2019
大木さん、該当ツイートにてご不快な思いをさせてしまいまして、大変申し訳ありませんでした。
— ゆうやん/Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) August 6, 2019
わけわからんことになってしまって残念です。別に僕のやってることをその人がどう思っていようが構わないんですが、汚いものを見えない所にぶちまけるんだったらしっかり隠して欲しかった。以上です。
— Tatsuhiko Ohki (@pinkbomwithaman) August 6, 2019
さて、この事件、直感的には大多数のひとが細川の誤爆に非を認められるだろうが本質的にはそう簡単ではない。
もちろん誤爆は良いことではないだろう。
個人ブログならまだしも、マジック界隈の公共性に大きく寄与している企業付きのニュースサイトのアカウントで、個人的な、それもネガティブな感情を吐き出すのは褒められたことではないだろう。
では、個人アカウントの発言であれば良かったのだろうか?
多分、それも違う。
問うべきはこうだ。
細川はどういうやり方であれば正当な批判を打ちだせただろうか?
つまりこの炎上は、批判の作法を逆説的にあきらかにしているのだ。
結論からいうと、責任の所在を明らかにしたうえで=個人の名の下で、他人がコンテンツを出したことにではなく、そのコンテンツの中身を論理的に批判すれば正当性は保たれた。
つまり、彼の発言の本質的な問題は、批判の矛先がコンテンツの中身ではなく、コンテンツを出したことに向けられていることであり、それは他人の表現の自由にケチを付けることにほかならない――自分の表現に値段を付けるか付けないかはあくまで買い手との問題だ。
だから僕は、他人のコンテンツを批判する上で大事なことはまず相手の土俵に上がることだと考えている。
相手の表現という行為、あるいはそのコンテンツの存在自体は認める、相手の主張の裏にある想いをいったんは認める、その上で、その表現やコンテンツの中身を根拠を示しながら論理的に正しく批判する。
さもなくば、作品を至急撤去しろ、ガソリン缶を携行して館にお邪魔するぞという脅迫文と本質的にはさほど変わらなくなってしまう。
究極的にいえば、おまえの作品はゴミだという証明はしても良いが、ゴミみたいな作品を世に出してんじゃねえという批判は許してはいけないということだ――「ゴミ」という自分の価値評価もかならずしも絶対ではないのだから。
中身を批判することと、行為自体を批判することの差はきわめて大きい。
余談だが、脅迫というオマケが付くかどうかの違いはあるものの、今回の細川侑也のように表現やコンテンツを世に出したこと自体をカジュアルに批判するひとはかなり多いように思う。
作品の撤回を要求した名古屋市長の発言も本質的には同様だろう。
via. 「表現の不自由展」の本質はヘイト表現
批判のレベルを、コンテンツを出した行為からその中身自体に変える――この批判の作法は他人の表現の自由を尊重するという倫理的要請だけの問題ではない。
たとえば、細川が問題のコンテンツの中身を公にみえる形で批判したらどうなっただろう。
その批判の質がどうあれ、公的な議論が成立する以上はお互いのデッキ理解や戦術論に対してだけでなくMTG界隈の公益にも資したはずだ。
同様に、津田大介芸術監督をはじめ、名古屋市長や愛知県知事がトリエンナーレの厳重警備を愛知県警などに直々に要請し、彼らの表現の自由と観覧者の身の安全を守ることができたらやはり公的な議論を起こし、日本社会の公益に資することもできたはずだ。
作品の政治的主張や表現の過激さばかりが話題になるが、本当に問うべきは「これは芸術作品といえるのか」「芸術の定義とは何なのか」であり、批判的な立場をとるなら芸術には門外漢であるはずの人気ジャーナリストに芸術監督を、同じく門外漢である彼のお友だちの思想家に企画アドバイザーを任せたことの是非だろう。
以前、フォロワーさんから、新時代令和にはいって何か平成の総括をありますかと尋ねられたことを思いだす。
他人の自由は守られず、臭いものには蓋を式の采配で公的議論は蓄積されず、肝心の企画展は専門技能よりも大衆人気と縁故優先の人事で寒い内輪ノリ――。
社会集団の時空間は改元程度で変わるほど甘くない。
少なくとも昭和も平成もまだまだこの国の時空間をその表層から強く支配しているのだから。