記憶喪失の破滅型刑事とハングドマンの謎
今、海外のひと握りのゲームメディアやコアゲーマーがある新作PCゲームを絶賛している。
10月15日に steam で配信開始された za/um スタジオ開発のオープンワールドRPG『ディスコ・エリジウム』だ。
ひと握りの、というのはまず、このゲームのプラットフォームがPC限定で、つまりPS4やXbox Oneといったコンシューマー機では発売されておらず、昨今流行りのシューティングアクションはもちろん友だちとのオンラインプレイや多勢の敵を薙ぎ倒す爽快感重視のハクスラ要素もないため、リリース直後から興味関心をもてる潜在的プレイヤー層が薄かったからだ。
実際、このゲームでやることといえば、完全記憶喪失の刑事(らしい)となったあなたがポイント&クリック方式で怪しい箇所を調べたり近隣住民の聴き込みをしたりして、膨大な英文テキストを読みながら陰惨な殺人事件や自分自身の謎を解き明かすいたって地味なもの。
また、主人公は古臭いマトンチョップス型の髭を蓄えたアルコール中毒のオッサンで、事件捜査のパートナーは律儀で几帳面な性格のアジア系中年男性だったりと、日本人にはあたりまえの美男美女がわらわらと湧きだすポップな世界観とはまるでほど遠い。
エストニアの無名な開発元とはいえ、昨今のゲーム業界の流れとは真っ向から抗する渋いゲームデザインだ。
しかし、『ディスコ・エリジウム』をグーグル検索しみると海外メディアの評価は軒並み高く、ユーザーからのネットレビューも非常に好意的だ。
そして、序盤をまだ越えたところとはいえ、発売1ヶ月前からそのグラフィックの独創性に注目していた僕はこの作品を「神ゲー」認定しているだけでなく、従来の教養主義的価値観では過小評価されているデジタルゲームというジャンルの枠を越え、その物語の深さと描き方という点で極めて高く評価している。
僕の限られた英語力で理解できた範囲ではあるが、冒頭批評としてこの作品のゲームとしての面白さと物語の卓抜さを解説してみよう。
ANCIENT REPTILIAN BRAIN – There is nothing. Only warm, primordial blackness. Your conscience ferments in it — no larger than a single grain of malt. You don’t have to do anything any more.
Ever.
Never ever.
古の爬虫類脳 ― 虚無。ただ、あたたかい原始の暗黒だけ。お前の意識はその闇のなかで発酵している――シングルモルトにも満たない大きさだが。そうだ、お前はもう何もしなくていい。
もう何も。
お前はしなくていい。
もし、主人公がある朝に眼を覚ます極めてありきたりな場面から物語を始めるとしたらあなたは何から描くだろうか。
部屋の描写からではいささか説明的すぎるし、家の外からではよほど巧い発想と筆力がないと悠長が過ぎる。
『ディスコ・エリジウム』はそれを主人公=プレイヤーの心のなかから始めた――それも、暗黒のなかで交わされる不気味な脳の対話劇として。
おそらくは恐怖を象徴しているであろう己の爬虫類脳、実際には脳の奥にある小脳や脳幹と、時折甲高い声で状況の注釈にはいる大脳辺縁系に対してあなたは会話の選択肢を慎重に選びながら最終的には眼を覚ます。
人間の自己に対する解像度と遡行性の高いこの序章は実に素晴らしく、自作品の世界観を端的によくあらわしている。
むかしから人間がどうやって言語や理性的な思考以前に物事を考えているのか興味をもっていた。
たとえば、僕は物事を言語化のプロセスで考える以前にそのアイデアの心の様々な反響音を聴くようにしていて、比喩的な表現になってしまい申し訳ないが、アイデアのどの部分に何がどんな複数の違和感を覚えたかを丁寧に言語化することでより多くの複雑さに対応したものにできる。
僕の考えでは、どれだけ多くの心の反響音をどれほど繊細に聴いているかは個人差があるだろうが、欲望や本能の問題系も含めて自己のうちで起こっていることは、自覚的にせよ無意識的にせよこれと同じ異なる声の執拗なざわめきで、だからこそ、人間には深い葛藤や懊悩があり、愚かな若気の至りや魔の萌しがある。
本作の主人公ハリー・デュボワは、アルコール漬けの喫煙者、ドラッグ服用者という意味では人間の弱さを象徴する愚かな人物だが、ゲームシステムとして脳の声のざわめきを意識的に聴いて会話や行動の選択肢を自由に選べるという意味では悩み深くも賢い人間といえる。
『ディスコ・エリジウム』のゲームシステムとして特質すべきはなんといってもキャラクタービルドの複雑さであり難しさだろう。
まず、オープニングの開始前に、知能、心理、身体、運動の4つの異なる系に12ポイントを割り振る――したがって、すべてのカテゴリーが4の平均的な刑事も作れるが、みんな大好き脳筋デカや異常な知能の高さをもってはいるものの他人への共感能力に著しく劣る刑事など基本的なロールプレイングはひと通りできる。
そして、この数字がそれぞれの系に属する能力の基本のスキルキャップになり、クエストやタスクの達成などに応じて貰える経験値の24個の能力の割り振り先となる。
本作は突き詰めればこの24の心の声を聴きながら会話を選び、情報を集め、自分の得意なより難易度の高い行動に挑戦して自分の過去と事件の謎を解いていくゲームといえそうだ。
たとえば、ゲーム序盤の最難関はどうやって宿泊先のホステルのマネージャーに自分が昨夜酔っ払って破壊したお店の賠償金を払うかだが、一文無しの状態からこのクエストを終えるにはある裕福な女性にお金を無心するのがいちばん無難な解決策で、会話の選択肢としてお金の話を選んで成功するには Volition 意志力という能力の高さが求められる。
つまり、出会ったばかりの婦人にお金を無心するという恥を忍ぶ意志の強さがないとお金の話ができないというわけだ。
ちなみにこの Volition は精神面での体力ゲージも兼ねていて、初期ステータスを知能に全振りしていた僕はこの能力の弱さで何度もゲームオーバーを経験した。
たとえば……
- 警察無線で重要参考人の女性をデートに誘おうとして死亡
- 街の親玉に警察バッヂだけでなく拳銃の紛失も指摘されて死亡
- 警察署の上司に拳銃の紛失がバレて死亡
- ある場所に隠していた辛い手紙を見つけて死亡
- 歩いているときに突然やる気を失って死亡
ざっとまあ、こんな感じだ。
さらに本作のビルドを複雑にしてしているのが思想というシステムだ。
主人公のハリーは特定の会話や行動、あるいは時間経過などに応じて多種多様な思い付きを得るのだが、アンロックしている思想キャビネットにそれらを装着することで一時的なデバフ効果を負うものの、一定の時間経過でそれらを思想として身に付け、ある能力全体のスキルキャップを引き上げたりアルコールを使用した際のバフ効果を高めるなどの特殊効果が得られる。
ただ、思想システムが難しいのはどんな特殊効果を得られるかは事前にわからないこと、1度身に付けた思想はレベルアップ時のポイントを消費しないと忘れられないこと、そして、当然ながら思想キャビネットの数は限られており、ゲーム開始時から開放されている3つの空きスロット以上の数の思想を身に付けるならやはりこれも獲得ポイントを消費しなくてはならないことだ。
つまり、レベルアップで獲られる貴重なポイントを……
- 26個の能力のうちひとつの能力の引き上げに使うか
- 思想キャビネットの新しいスロットのアンロックに使うか
- 余計な思想やデバフ効果付きの思想を忘れるか
この3つのいずれかの使用先に常に悩まされる。
20時間弱ほどプレイしてみた限り、経験値を獲るのに必要なタスクの数には困らないので序盤ではさほど各能力の引き上げではなく新しい思想の定着に使っても良さそうだが、タスクには、ホステルの開かずの扉をあけて探索するや紛失した警察バッヂの情報を掴むといった具体的に何をすべきかわからないものが多いため適度な緊張感があって良い。
また、本作には80個の衣装が実装され、だいたいの場合それぞれにバフ効果とデバフ効果が付いているのでときどきの状況にあわせて着せ替えする必要があるだろう。
以上のように、4つの基礎能力、24個の個別能力、12の思想キャビネットに53の思い付き、80個の衣装アイテムと、ビルドシステムはわかりやすくも快適でもないが、ハードコアなゲームファンと僕のような物好きを唸らせるにはじゅうぶん斬新でかつリプレイ性の高い歯応えあるゲーム体験を実現している。
最近の日本でも高い評価を得ている探索型アドベンチャーゲームに、2016年配信開始の EQ Studio によるインディーズゲーム『ペインスクリークキリングズ』がある。
3Dグラフィックとはいえ、別段凝った作りも独創性ある造形や色彩表現もしていないのでヴィジュアルアートとしては『ディスコ・エリジウム』と比べるべくもないが、物語として観てもやはり本作とは1段も2段も劣るといわざるをえない。
たとえば、『ペインスクリークキリングズ』では新聞社の新人ジャーナリストを操り廃墟同然の田舎町の未解決事件を再捜査するが、本作では宿泊中のホステルの裏庭に吊るされている腐乱した他殺死体を調査するとともに、完全記憶喪失の自分自身の過去も追跡するというかたちで調べるべき謎が二重写しになっている。
また、前者はどこまでいっても殺人事件の真犯人とその動機に焦点があてられるが、本作の腐乱死体の加害者もその動機も早々に判明してしまうものの、謎の通報者や、加害者グループが主張する被害者の正体やその疑わしい暴力性などへ謎が奇妙なかたちで換喩され事件解決は遅延される。
おもしろいのは、私刑の実行を認める港湾労働者のガチムチ兄貴を署に連行するには主人公ハリーがおのれの警察官たる権威を主張するという高難易度チャレンジに成功しなくてはならないことだろう。
というのも、物語の舞台となる Ravachol は共産主義革命を達成し、しかしながらそれも資本主義の力に敗退したあとという政情不安と貧困、腐敗した政府や企業の癒着、そして、組織犯罪のはびこりのため警察官の地位が相対的に低いからだ。
当然、街には腐乱死体に石を投げつけて遊んでいるヤク漬けの子どももいれば、レイシストはもちろん――思い出してほしい、主人公の相棒はキムという韓国系3世だ――共産主義者や港湾ビジネスを管理するグロバール企業の関係者といった多種多様なイデオロギーをもった人物が生活し、彼ら彼女らとの会話の選択を通してあなたは彼らと同じ人種差別主義者にも共産主義者にも、あるいは中道モラリストにもなれる。
要するに謎の見せ方と物語のディテールが段違いに深いのだ。
光と闇という古くからの説得力ある譬えがあるが、僕にいわせれば現実にあるのは単純さと複雑さのほとんど虐殺に近い戦争だ――もちろん民族浄化を仕掛けているのは単純サイド。
TRPGに敬意を払ったクラシックなゲームスタイルに現代の分断と崩壊の社会情勢を煮詰めた本作がもう少し広い高評価を得て、混迷を極める闇のなかでディスコのように淡い光を投げかけられるかは正直まだわからない。
だが、プレイ環境が整っているならローカライズに備えて『ディスコ・エリジウム』というゲーム文学の新しい傑作を予感させる名を覚えておいて損はない。
本作がその淡い光の彩りにどんな世界と人間の悲惨のプリズムを込めたのか、それは僕自身がアルコール中毒の刑事として事件の結末を迎えたあとに機会をあらためて語ろう。