霊性と文明性の力線が交差する神社
自然と人間、とりわけ、近代社会以降の人間はその科学技術のちからで以て自然と対立する――。
と、学校教育と受験勉強、あるいは宮崎駿のジブリアニメで無批判に学ぶが、表層的にはただしく、本質的には誤った考えだ。
たしかに、人間のもっとも人間らしい部分、つまり文明性は、自然環境をより居心地の良い住環境に作り変え、動物を家畜化し、法を打ちたて、人間の認知的限界を越えた規模の社会集団を経営するに到った。
文明史とはまさに自然の克服の歩みだ。
とはいえ、人間もまたその大部分が自然なことも忘れてはいけない。
「自然」を自然物ではなく、形容動詞や副詞の「あるがまま」と捉えた場合、家庭の躾にはじまり、社会集団の掟や法はすべて人間の「あるがまま」な行動を抑制ないし規制することをめざしている。
つまり、文明性とは環境と社会集団に対してだけでなく、自分自身の統治、すなわち、セルフコントロールの意志力であり人間の自然さを克服するちからなのだーー野蛮人という蔑称の暴力性は百も承知だが、それでも野蛮さを思わせる立ち振る舞いがどういうものか思い浮かべてほしい。
皮肉なことに、おのれの自然さを克服していることを一般的には「成熟」や「大人」と呼ぶが、しかし、自然と人間問題はなにかと「あるがままさ」を「純粋さ」に敷衍してより高い価値をおきがちだが、この素朴な回帰主義も誤りだ。
たとえば、庭は、人間が自然の生茂りに手を入れてはじめて芸術作品として成立する。
反対に、家屋を自然のちからに放置すればたちまちのうちに朽ち、廃墟と化し、都市を人間の「あるがままさ」に委ねれば東京都心部のようなコンクリートジャングルが繁茂する。
間違えてほしくないのは、動物や自然環境の保護はあくまで人間の自然さの統治であり文明性の発露だということだ――人間の自然な放埓さをコントロールすることがあらゆる他者を救いうる――世界中の宗教が自己抑制と人格陶冶の大切さを説くのはそのためだ。
紀元前約1万年前のエリコの遺跡だったと思うが、そこの骨塚では狩猟対象の鹿の若い個体の骨はほとんど出土されていないという。
ムラの掟か何かで将来の食い扶持を減らす乱獲をこの頃から抑制していたのだろう。
要するに、近代社会に移行してからというもの、人間はなにかと自然を懐古趣味的に眺め、近代科学、とりわけその科学技術が発揮するエネルギー量と規模の大きさを否定的に観る価値観があるが、本質的にはそれをコントロールできない人間の内なる自然さが問題なのだ。
Pictured by Chika Hitujiya
もちろん、自然をロマンチックに観てきたのは近代人だけでなく、古来、人類は世界中の文化文明において自然をときに怖れ、ときに賛美し、太陽や山にはじまり奇石や巨石にいたるさまざまな自然物を崇拝してきた。
現代では、自然物へのそうした崇敬は遡れば1960年代のニューエイジ運動に、日本では90年代以降のスピリチュアルブームでのパワースポット巡りにみられるのみだが、彼ら彼女らの自然物、とりわけ、土地に対するロマンティシズムはかならずしも根拠のないものではない――たとえその趣味嗜好が見当外れだとしても。
霊域という僕の概念は、自然の霊性と人間の文明性というふたつの異なる力線が交差する特殊な場所だ。
たとえば、自宅から徒歩5分圏内の新熊野神社を考えてみよう――当然、以前紹介した Cafe nido のほんの目と鼻の先にある神社だ。
Pictured by Chika Hitujiya
今熊野神社――いまくまの神社――はその名のとおり、平安時代末期の熊野信仰の盛んな折に時の最高権力者・後白河法皇により創建された約900年の歴史をもつ由緒正しい神社だ。
後白河法皇はその65年の生涯で34回も熊野に参詣したそうだが、当時の京の信仰者にとって伏見から淀川を船で下ってから歩く参拝道は相応に大変だったため、熊野の新宮として法住寺殿の広大な敷地内に建てたのがこの新熊野神社にあたる。
敷地面積にして1キロ平方にも及ぶとされる法住寺殿は、1184年に木曽義仲がこの東山の離宮を襲った軍事クーデターで焼き払われてからは、上皇の住まいが鴨川の先の長講堂に移ったためその後も再興することはなかった。
いまでは、上皇の命により平清盛が造営した世界遺産の蓮華王院、後白河法皇の墓所を守る法住寺、そして、河川に挟まれた和歌山県の熊野本宮の地形を模して創建された今熊野神社といった敷地内の寺院が散発的に残るのみで、鴨川と東山のあいだでどういう地理関係を成立させていたかというパースペクティヴは宅地開発の波間に失われてひさしい。
とはいえ、今熊野神社がいまも熊野とのゆかりを保ち続けているものがあるーー前景の写真、後白河法皇の御手で植えられたとされる樹齢900年の大樟だ。
安寧のゆりかごたる文明的な住環境に慣れた人類が自然にロマンを見出す理由はその情報量の多さだ。
肉や魚でも、天然と養殖ではその味の複雑さや食感の締まりから大抵の場合は前者に軍配があがるが、800年を越える歴史をもつともなれば、幹周約6.5m、樹高約22mを誇るその巨木の威容はやはり圧倒的だ。
僕が写真撮影に訪れた折にも、ひとりの妙齢の女性が両の掌をごわごわとした皺の深い木肌に付けてなにか霊的交信を試みていた。
彼女が与える側か享ける側かはわからないが、自然と交感しようという気持ちはまあ、わからなくはない。
Pictured by Chika Hitujiya
霊域論として神社が興味深いのは、情報量の多さという自然の良さを土地に残しつつも人間の敷地管理により文明的な領域を結界として張っていることだ。
今熊野神社は、東福寺や清水寺、八坂神社などの有名観光スポットを結ぶ幹線道路であり時間帯によっては大渋滞を起こすほど交通量の多い東大路通りに面し、下町感溢れるいまくまの商店街の先頭に鳥居を構えている。
排気ガスが終始舞っているなか樹が育つことも、俗気が深い地域のまんなかで非日常の聖域を保つこともそうかんたんではない。
近年の研究によると、1375年、能の始祖の観阿弥と世阿弥父子らが今熊野神社の境内で演じた猿楽が機縁となり、ときの将軍家、足利義満の寵愛と庇護を受けられるようになって発展したことが判明した。
能という芸能も抑制という文明性の象徴のような身体芸術だ。
自然であることを重視する価値観は、人間の抑制と成熟を否定するため甘美な響きをともないウケが良いが、自然さのチカラにゆだねることで芸術が発展したわけでも神社の聖域が守られてきたわけでもないだろう。
人類史上最も悪名高い大量虐殺者のひとりが、20世紀のカンボジアで自然と子どもの純真さに善の理想を見出した原始共産主義者だったことを僕たちは忘れてはいけない。