天使の芽
未来国家ジャポンの病製造業報告書
月刊ヤングリテラチャー 4月号 誌上企画 次世代作家育成プログラム
第一回 文学仮装大会 開催のお知らせ
審査員、文田川萬次郎より
はっきりさせておきたいことがふたつある。この賞は、私の人生をあちらこちらに振りまわした持ち前の思いつきによるものでなければ、とある教え子(アバズレ)のSNSを3年追跡していたのが明るみに出たせいで教授職を解かれて以来、ぱったり仕事の依頼が途絶えた状況への打開策でも決してないのである。同業のとある女性作家などはその一件をもとに『変態文学入門』なる駄作を厚顔無恥にもものしたが、そもそも私の男性器は、愛犬のアリストテレスを刺し貫いたときに患った感染症で30年前に壊死しているし、学生課に私をストーカーとして告発した教え子の頭の中身もまた不可解で、演習講義のあとに決まって作品の添削を求めてくるうえに、紙上に刻まれた稚拙な言葉の意味をなんとか読み取ろうと奮闘している私の顔をジッと
月刊ヤングリテラチャー 5月号
文学仮装大会掲載作品 連載部門
お前のわずらう病気数がついに千を超え、健康潔白な市井のかたがたに空気感染をおよぼす可能性が高いと見做したので、福島の国立病巣園へ護送しなければならない、要はまあ、残りの人生すべてをあきらめろ。
そんな台詞を吐きおわるや部屋の扉を蹴破り室内に突入し、住人をがちがちに拘束してから護送車で国立病巣園に運ぶ、天使システムの大規模アップグレードにともなう「論理拒絶症」のペナルティの導入により、そんな光景が日本中そこかしこで繰り広げられるのは想像にかたくありません。15年前に適用されたマイナンバー制度の裏で極秘に開発が進められ、いまや我々の脳の奥深くで精神の手綱を引く天使システム・・・・・・、正式名称・精神制御装置は、「より良い人間生活」を達成するべく政府主導で実現されて以来、全国民のこころの健康のためになくてはならないものですし、他でもない弊社に多数の案件を運んでくれた、それこそ天使のような存在であることは言うまでもありません。
ですので、恩恵を受けた人間のひとりである私がこれから社内報の記事として書く「論理拒絶症」への意見と天使システムへの懸念は、一見すると恩知らずにも思える話ですが、我が社の衛生管理と教育を担う立場として、そして社の発展を願う善き社員として、反発を買ってでもお伝えしなければならないと感じるノンフィクションでございます。
(続)
本来なら三万字のはずだった先月の私の文章がわずか300字程度しか掲載されなかったことに腹を立て、編集部に抗議の電話をついさきほど入れてきたのだが、彼らの言い分は「全文掲載したら読者が先生の作品以外に何の魅力も感じなくなってしまいます」という正当なものだったので、それでは仕方あるまいと思いなおし、刀を鞘におさめた次第である。
とはいえ、肝心の賞のルールを参加者諸君に伝え忘れていたのは失態だった。そういう失態は、他人の気持ちに塵芥ほどの興味を持たず、ただひたすら真理を探究する私のような冴えわたる頭の持ち主にありがちなことだが、今回の仕事は他人、つまり参加者がいてこそ成り立つものなので、多少の戸惑いを憶えているはずの諸君らに寄り添って解りやすくルールをお伝えしようと思う。
1 投稿する作品の形式は問わない。詩、散文、小説、エッセイなどのジャンルはもちろんのこと、連作や完結短編など、作品の長さもなんでもござれ。
2 私の提示した作家のスタイルを模倣した作品であること。模倣するポイントは、特に私から指定することはせず、読者諸賢の判断にゆだねる。作品の構成要素である、内容、形式、文体、その他エトセトラの何を意識するかは、諸君ら自身で考えたまえというわけだ。
上記のルールを設けた理由は紙幅の都合で来月にまわさざるを得なくなったが、とりあえず、栄えある第1回目のお題は堀江敏行氏だというのだけは伝えておく。精々がんばってくれたまえ。アデュー!
月刊ヤングリテラチャー 6月号
文学仮装大会掲載作品 連載部門
懐古志向症、未来志向症、子孫製造拒絶症、そして動物性過剰性欲疾患、それら去年から激増し、今年も治まる気配のまるでない《精神病》への対策を、取引会社の若手社員に講じるために去年の冬から全国津々浦々を飛び回っていたから、この春経理課に入るなりすぐさま話題の中心となった新人女性のことなんて、私が毛ほども知らないのは当然だった。彼女はいまどき珍しい本物の健全な娘ですよ、世の中広しと言えど、先輩の好みのタイプなんて小説のなかにしかいないものだとばかり思ってたんですけどねぇ、と、久しぶりの社食に舌鼓を打っている私に意気揚々と話してきたのはシステム課3年目の原田で、うなじからじゃがいもの芽をポツと生やされる無言の警告を《天使》からついに受けたのにも関わらず、今日も彼は、サラダのじゃがいもを腫れ物みたいに皿の隅へと追いやっていた。
件の新人女性は、四月いっぴに突然経理課にあらわれるなり自己紹介もなしに自分の机に向かい、その姿がまるで、いままで数々の修羅場をくぐり抜け、理不尽な案件を打ちのめし、華奢ながらも活力に満ちたこの身体ひとつで大抵の煩事を片付けてきたのだと言わんばかりの自信を体現しているかのようだったから、すくない人員で全社員の給与計算や月次決算を処理している課の救世主になるかと周囲を期待させたが、実際のところその期待は的外れもいいとこで、厖大な請求書をさばいたり新人用の研修を受けたりするわけでもなく、くいだおれ人形みたいな顔で座ったまま過ごしているだけだという。もちろん、その有様を快く思わない一部の社員が置物と化した彼女のことで課長に物申しに行きはしたが、返ってくる応えといえば、そのままでいいのだ、彼女は何もせずただ座っているのが仕事なのだからという、日々業務に追われている社員を納得させるにはあまりにも道理の通らないものだった。
事実、彼女は実務にはまったく役立っていなかったが、課の人間の精神安定には一役買っていた。もともと課にいた女性といえば、数値との毎日のにらめっこによるストレスと持ち前の更年期障害のダブルパンチのせいなのか、はたまた生まれつきの癖なのかは知らないが、何やら意味のわからない独り言をつぶやき続ける中年女性ただひとりで、しかも彼女の精神病の数ときたら赤ランプ警告一歩手前の80オーバー、いくら《天使》のせいとはいえ、頭よりもおおきな黒い膿胞を首のうしろにこさえているうえに、なかに恐竜の子でも宿してるのかと見紛うほど腹もふくれているとくれば(たぶん子孫製造拒絶症によるものだろう)、若く、ヒトのかたちをし、なおかつ顔立ちも良く物静かな新人女性が、課の男性陣の心のオアシスとなるのは想像にかたくないはずだ。その日食堂の列に並んでいるときに、経理課の職員と思わしきふたり組が、彼女を見ていると自分も人間だったことを思い出し、どこか懐かしい気分に満たされ、少年時代にもっていた世界全部に対しての慈愛の気持ちも蘇ってくると言うのが聞こえてくるくらい、人間本来のすがたを保っているひとはもはや希少でご利益のある存在なのだ。
お上が天使システムを導入する際に打ち出した標語のひとつ、「気分や感情は身体を支配する」とはよくいったもので、彼女が来てからというもの、酸欠気味だとすら感じた部屋の悪い空気がまるで、かつて古代アーリア人が疾走した大草原のように爽快なものに変わり、社員も心なしか以前より業務に集中できるようになったのだという。
《天使》の警告のせいで発声機能を一時的に失った私は、謎に満ちた新人女性と原田のうなじの芽について知りたくても尋くことができず、それでも原田の身体の変化だけは、とばかりに芽を凝視していたら、こちらの意図を汲んでくれたのか、いままで《天使》に無視されてきたんですけど、ほら、何ヶ月か前に精度向上の案件があったじゃないですか、たぶんそのおかげか、ようやく捕まったんですよねぇ先月に、と奴はすぐさま話題を変えた。けどね、と麺類のカウンターに並んでいる、五十をなかば過ぎたくらいの四本肢の女を指差して続けた。ああまでなって頑なに車通勤を止めないのを見ると、身体の変わるのをずっと待ち望んでいた僕が別におかしいわけじゃなくて、ひとたび自分の身体が変わり果てたら案外みんなどうでもよくなって、元に戻るために頑張るよりもその状態でいかに楽に過ごすかを考えるんだなぁって。
(続)
50もなかばを過ぎてなお他人を思い遣れないだなんて、この国の道徳、国語教育がいかに機能していなかったかを物語ってはいませんかと、私の不祥事の処罰を問う諮問会で自嘲気味に発言したのは教育学科のとあるぼんくら教授で、何十年前から何らの更新もされていない理論をぼそぼそ呟くだけの催眠術のような講義をする無能とはいえ、彼の発言をきっかけに私の執筆論が更新されたのは事実であるし、感謝もしている。件の教え子の求めていたのが蜜月ではなく単なる知識と経験であるのを見誤ったせいで、大学に居場所を失くし、私の作品にハイエナよろしく群がっていた編集者と読者連中もいっさい近寄らなくなったのを思えば、他人の関わる事態や空間においては思い遣りの心、言い換えれば、相手や状況の期待に沿うのが何よりも重要なのは明らかだし、たとえば、野球部時代に気に食わない人間をトスバッティングの投げ役に指名しては、彼らに向かって打球を打ち放って頭部を破壊していたものだが、期待への背反という意味において、良心の呵責などまるで感じないとしてもその行いは間違いだったのだ。
その重要性は文体をデザインする際にも言えて、内容と物語から期待され求められる文体、あるいは単純に読者に期待される文体などなど、何にどのようなものを要請されているかを正確に把握するのを怠ると、作品の意味を正しく伝えられないかもしれないし、そもそも読まれすらしない可能性だってあるのだ。むろん、その期待に応えるためには多くの引き出しがなければならず、そのための手段としてもっとも確実かつ手っ取り早いのが、他人の引き出しの中身をこっそり拝借することなので、この企画を編集部に提案した次第である。
月刊ヤングリテラチャー 7月号
文学仮装大会掲載作品 連載部門
じゃがいもを避ければ偏食症としてうなじに芽を生やされ、徒歩ではなく車や自転車、バイクなどに頼りすぎれば乗り物依存として、四本、あるいは六本の肢が生えてきて腰を下ろすのもままならず、たとえ講演の仕事とはいえ、何ヶ月とべらべら喋り続けると言語依存とみなされ咽喉に睡蓮の花が咲く。
私らの脳の奥に住む《天使》は何ごとにおいても中庸を好み、過剰な行動や思想を決して認めず、いくら警告しても生活習慣や思考パターンの改善の見られない聞き分けの悪い主には、何としても従わせるために無理やり身体を歪めて対処するというわけだ。それにしても、じゃがいもの芽のような一顧だにする必要のないものから、今までの生活を180度ガラリと変える肢の増殖まで、変形の種類は色とりどり、本当にさまざまだ。
あなたの疑問にわかりやすくお答えしますと、つまり、変形の度合いは深刻度に比例するんですな。もちろん、お上によって厳密な深刻度は日々すこしずつ変わってますし、いまこの瞬間にも新しい病気が登録されてるので、その決定に応じて身体への罰則を、まあ、変形をデザインするのが我々の業務で、今日お話しするのは、あなた方のこれから設計する新しい精神病のシステムと我々の担当するデザインの意識合わせなんですな、と身体変形デザイナーは押しのつよさを窺わせるバリトンの利いた声で言ったのだった。おそらく読者諸賢のもっとも気になる点であり、新人のころ抱いていた私の最大の疑問は、上司に付き合わされて参加したデザイナーとの初めての打ち合わせで解決したというわけだ。
それにしても、なるほど、食べ物の好き嫌いはこの国では相当嫌われるみたいですねと、根っからの鯛ぎらいのせいで、《天使》の導入以来ずっと顔がうろこに覆われている上司に目をやりながら冗談めかして私が言うと、デザイナーは神妙そうに眉をしかめながら、食事の嗜好の締めつけ自体はそんなに厳しくないはずだが、まあ、よほど鯛に辛い思い出があるんでしょうな、と返した。御名答。上司の鯛嫌いは生まれついてのものじゃ決してなく、むしろ、高校球児の時分などはゲン担ぎにと、食卓に出れば十代特有の無節操さを発揮して骨の髄までしゃぶり尽くしていたそうだが、よりにもよって天使システムの開発前夜、母親の訃報に、婚約したはずの彼女から送られた別れのメッセージ、おまけに鯛にふくまれるパリトキシンの猛毒による食中毒すべてが彼に襲いかかったせいで、祝福の象徴であるはずの鯛が別れと痛みの記憶にひもづけられてしまったのだ。傷ひとつなければ痛んだことすらない私のつやつやの心では、上司の病気に理解はできても共感などできやしない。
仕事仲間としてではなく、ひとりの友人として言わせてもらうと・・・・・・、とさっきよりもずっと低いバスで、茶化すふうもなくデザイナーは上司に忠告しはじめた。きみ自身がなによりも解っていることだと思うが、変形の進行度は、単に病気のわずらっている年月だけでなく、病気に対しての態度も加味したうえで算出されるのだから、このままトラウマや恐怖心を腐らせておくと諸器官にもいずれ影響が出始めるかもしれない。そんなに真面目くさることもないだろう、もしそうなったらこいつに周りの世話をやらせるよと、上司は私の肩をひとつ叩き笑ったが、それが現実になったいまはとてもじゃないけど笑えない。
そういうわけだから、昼休みのあと、ある者はじぶんの仕事が定時までに終わらないことに気付きパソコンの前で頭をかかえ、ある者はトイレの個室にこっそり仮眠をとりに行き、ある者は客との打ち合わせと称したじゃがいもの芽のお披露目会に颯爽と繰り出すなか、他でもない私の仕事は、開発チームの定例会議でもなければ新人研修という名のお守りでもなく、鯛の頭部をもつ上司に宿った寄生虫の駆除ということになる。そして、そのタスクは業界のいくつかの問題点をあらわにする。
『・・・・・・。《天使》に関わるあらゆる仕事は、過酷な労働環境や、同種であるはずの人間を苦しめ対価を得ることの罪悪感がもとで職を離れるひとが多く、常に人手不足なので、やる気とほんのすこしの冷酷さがあれば誰でも就けるのだが、その悪い意味での流動性の高さが、システムとデザイン双方とも例外なく、技術者間で能力や生産性の差を生み、政府言うところの「心の教育」の実現の足枷となっていることは明白である。』
(2028年 10月16日)
『オリジナルを凌駕するイミテーションを』
『人間の限界を知るのは、限界を超えた者だけだ』
(ポパイン株式会社 ホームページより抜粋)
人手不足の生みだす諸問題も当然なげかわしいが、聞こえの良い社内訓に沿ったデザインを修羅のごとく産みだすポパインは、さらにタチが悪いと言わざるを得ない。
ポパインの社風は、ほうれん草でドーピングする超人ポパイと薬物のコカインをかけた会社名そのままで、というのも、ねむるという言葉がそもそも存在しない国みたいに過酷な環境で昼夜デザインを手がける従業員は、各部屋に常備されている覚醒ドリンクでむりやり意識を保っており、そんな彼らの疲弊しきった脳みそから生まれるデザインはと言えば、良く言えばおちゃめで遊び心満載、悪くいえば傲慢で狂気の沙汰、つまり、心身ともに限界まで追い込まれ、物の分別を失くした人間の産物としか言いようがないからだ。音楽欠乏症の人間の肛門からディズニーの名曲、『エレクトリカルパレード』を四六時中ながすように仕組んだのは彼らで、口腔の寄生虫までリアルに再現された鯛の頭部が生まれたのも、もちろん新宿に居をかまえる現代の阿片窟、ポパインビルの一室に他ならない。
できることなら、デザインゾンビの大群が闊歩している地獄のビルなんぞに一歩たりとも入りたくないのだが、世の中起きてほしくないことほどよく起こるもので、上司の口のなかにへばりついている樹脂製の巨大なタイノエたちを根こそぎ引っぺがしたあと、彼はすぐさま立ちあがり、ポパインさんとの打ち合わせがあるから経理課の新人の子を呼んできてくれ、お前にも同行を頼む、と私に命じたのだった。
(続)
ひとこと付け加えておきたいのは、この企画が諸君らみんなに歓迎されるとは微塵も思っていないこと。なにせ、筆で飯を食っている作家連中でさえそうなのだ。私の一新された文学論をさっそく同業連中に伝えようと、年始恒例の作家懇親会に7年ぶりに出向いてやったのにも関わらず、薄々はじめから解っていたことだが、先生みなみなさまのお目当ては私の論理ではなく、昨年デビューしたばかりの女子大学生作家だった。
本読みならだれでもピンとくるであろう、名状しがたい鬱屈をかかえた少女がゴミ捨て場の壊れたパソコンを同じマンションの少年と修理して、それを使ってチャットエッチでひと儲けしようと画策するも、最終的には自分の騙した男に強姦殺人されるという、なんと胸の空くジュブナイルストーリー。新人賞のとある審査員は、ラシーヌやシェイクスピアの諸作品に特徴的な悲劇表現の系譜にあたると小難しい言葉で称賛したが、それが正しいのはあくまで物語の展開においてであり、内容自体は、女はまともにモノを考えられず、男は頭のなかで造った理想像が崩壊するや猛獣じみた本性をあらわすということでしかないし、文体もラフな若者言葉を多用した透徹性のないもので、審査員の挙げた偉大な劇作家のように言語表現の限界を突き詰めているわけでは到底あるまい。
驚くべきは、彼女自身その欠点をうすうす感じていることで、手持ちぶさたの作家に文学論をまくしたてては同情まじりの薄気味悪い微笑で受け流される私を歓迎してくれたのは、他ならぬ彼女だったのだ。
月刊ヤングリテラチャー 8月号
文学仮装大会掲載作品 連載部門
その話を聞いた彼の男子高校の友人みなみなは、最初の犠牲者は間違いなくこいつだと信じて疑わなかったし、他ならぬ彼自身もそう思っていた。まともな家庭ならよちよち歩きの時分から食事教育を徹底的にほどこすこの御時世で、まさかじゃがいもを食えないなんて《天使》の格好の標的なうえに、遠ざける理由もまた理解不能で、ソラニンの毒を引いたせいで斧でブチ割られたような頭痛にみまわれ、下痢便で全身の水分をうしない、三日三晩地べたをのたうちまわったのならまだしも、彼の嫌悪感は「少し噛んだだけでぼろぼろ崩れていく儚さがヒトの一生みたいで辛くなるよね」という深いんだか浅いんだかよくわからない理屈によるものだったからだ。それは、特に嫌いな物事のない人間が天使に嫌われるにはどうすればいいのかという単なる好奇心によるもので、ゴミ箱に捨てて事なきを得ようとしたところをクラスの友人に見られたときに生まれた理屈だった。
嫌いなものを嫌いなままでいさせないこの社会に生きる連中の大半は、明確な好き嫌いとその理由がちゃんとありながら、遠ざけたい物事を克服しようと日々奮闘するし、特に天使システム適用開始直前の17、18歳の若者などは、化け物みたいな身体になるのはまっぴらごめん、人間のフォルムをちゃんと保ち続けたいと願うものだが、それに対して原田は、物事への執着がないゆえに好き嫌いなど存在せず、どんなひとでも生涯に数度は感じる人類への連帯感すら抱いたこともなく、となればヒトのかたちを維持することに興味がないのも当然だった。
そして、彼のような、趣味嗜好を持たず、自身や人生に対して関心のない、あるいはあえて破滅に陥りかねない振る舞いをする人間こそが《天使》の天敵だったのだと、寝不足のせいでひたいに出来た第三の目をぎょろつかせながら、ポパイン社デザイン課長は説明した。
どうやら、何ヶ月か前に行われたシステムの精神感知の精度向上にともない、いままで《天使》の目をごまかしてきた社員の身体に何らかの変化が生じたら報告するよう両社のあいだで取り決めていたらしく、我が社で完璧に人間の見た目を保っていたのは原田と私だけということで、ふたりとも身辺と過去をあの手この手でこっそり洗われ、その調査結果を両社それぞれの精神探偵課に分析されていたらしい。原田さんのようにあなたの尻尾を捉えたわけではないですが、と課長は私に向かって言った。ヒトの身体を保てていることが善良な市民の証という言説は今となっては神話でしかなく、現実はむしろ逆で、大抵は原田のような狂人一歩手前の隔離すべき危険因子なのだ、と。
その台詞があるていど的を射ているのは確かで、子孫製造拒絶症ではちきれんばかりに腹の膨れている経理課の中年女性を例にとれば、彼女があのすがたにまでなって子どもを作らないのは、天使ではなく昔ながらの老衰で身体の自由の利かず、そのくせ老人ホームをかたくなに拒む父の看護に追われて伴侶探しの旅に出られないからだし、そもそも相手がちゃんといて、だれにも気兼ねせず子を製造できるとしても、多分しなかっただろう。今のじぶんのように、排泄物にまみれたおむつを取り替えたり、言葉として成り立っていない父の言葉を読み解くために全神経を鼓膜に集中させたり、ずっと一緒に暮らしてきたのに、訓練で治すにも手遅れな痴呆のせいで「立派になったねぇ」と毎晩むせび泣きながら言われたりすることの気苦労や寂しさを将来背負わせたくないという、人間味あふれる理由で。
(続)
そもそもアリストテレスの尻穴を貫く羽目になったのは、それまで私に好意をもった女すべてが、公共の場ではさも賢そうにふるまっておきながら、私のまえでは無力さや弱さをさらけ出す詐欺師のようなやつらだったからで、今後会うやつらも同様にちがいないと諦めたからだ。
そのなかには、いまや閉経をむかえた女性作家も複数いるが、彼女らもそんじょそこらの女と何も変わらない。公衆のまえでは私とまったく赤の他人のフリをし、あたかも男に対して軽蔑しか感じていませんというような物言いをするくせに、ふたりきりになるやいなや、動物本来の依存と性欲のまじった汚らしい欲求を顔に浮かべながら、耳障りな甘ったるい声で話しかけてくる始末で、その凋落を目の当たりにするたびに、荘厳な城壁が実はハリボテに過ぎなかったというような空虚感に襲われるのだった。そんな連中の慰み者に、より直接的に言えば、性欲およびストレス処理機械として貴重な時間を浪費するくらいなら、素直に感情をあらわしてくれる犬とさっさと結合し、生殖機能と異性への関心をなくした方が百倍マシだというわけだったのだが、つい最近、動物ではなく人間固有の自立的な関係を結べそうな女性とようやく出会い、それが件の新人女性作家というわけだ。
懇親会途中にふたりでこっそり抜け出し行き着いた喫茶店で、ありがちな人生物語をもし聞かされたなら彼女の五臓六腑をぶちまけていたはずだが、ありがたくも話の大半は創作上の悩みだったので私の心は終始おだやかだったし、特に興味深かったのは、本人言うところの「天使の贈物」に処女作を書かせてもらったという話だ。
生命力とみずみずしさに溢れた作品を産み出すために必要なその贈物は、純潔、情熱、鬱屈、第六感、あるいはいっときの才気とも言い換えられ、文を書く生きとし生ける若者すべてが受け取れるが、その機会は人生でたった一度きりで、二度目はありえない。たとえば、十代後半に書かれたサガンのデビュー作を読むといい。文章のつなげ方はたしかに拙いが、冒頭の悲しみについての思弁があれほど物悲しくみずみずしいのは「天使の贈物」のおかげに他ならず、あの明暗の絶妙なバランスは経験と技術で表現できるものでは決してない。そうとも知らずに大抵の作家は、若かりし頃の私ふくめ、ストロボのような一瞬のまばゆい光をずっと忘れられずに、ふたたびその煌めきを作品に宿そうと何年も時間を費やす羽目になるのだ。つまり、作家の最初の使命は、天使の幻影を跡形もなく消し去ることに他ならない。
私のまえに座る新人作家は、自分自身のみならず、編集者や読者にも「天使の贈物」による煌めきを無責任にも求められているせいか、二作目の執筆に難儀しているとのことなので、私の作家経験をもとに打開策をその場で伝え、さらにもし必要なら、創作の奥義を文通なりでこれからも教授しようと約束したのであった。
月刊ヤングリテラチャー 9月号
文学仮装大会掲載作品 連載部門
第二次大戦まえに生まれ、天使システム導入年にうまいこと墓のなかに避難した大ばあさんによると、空気清浄機の誕生は、経済成長にともなう空気汚染で四日市ぜんそくが幅をきかしていた前世紀の60年代で、たしかに清浄機のおかげで汚染の息苦しさが緩和されたとはいえ、草木と人間のいとなみの混じった煩雑だけれども健全な空気を取り戻すというよりは、無臭で無機質な、どこか病院みたいな味気ない匂いで上書きする感覚に近かったという。天使システムのペナルティで変異する部位の素材が合成樹脂なのは当然のこととして、老いも若きも臭い消しを携帯し、草木や古民家、そして紙本などの強烈な匂いを放つ物も珍しい今となっては、ばあさん言うところの「無味無臭で鼻にうるさくないけれども味気ない空気」が我々の日常を支配している。
綺麗すぎる水に住めない魚と我々はどうやら似たもの同士で、希釈されすぎた空気のなかに長く居座ると、心身にすこしずつ鬱屈が溜まるという調査結果をポパインお抱えの研究所が弾き出し、その結果として、人間本来の自然な生臭さを空気中に忍ばせる最新型の清浄機、というか、人型アロマを開発するに至り、その試作品こそ経理課の新人女性、最新鋭の人工知能と身体素材のハイブリッド、要は次の金の成る木というわけだ。たしかに近頃の空気清浄機が、機能やデザイン面での真新しさなどもはやなく、性能と効率を上げていく方向性でしか他製品との差別を図れないことを考えれば、革新的ではあるかもしれない。行儀ただしいながらもわずかな緊張をおびたように左隣に小さく座る彼女は、打ち合わせが終わりしだい週に一度のメンテのために研究室に向かうらしいが、今は、みずからの創造主たるポパイン社デザイン課長の熱弁を、見る者の心をとろけさせるいつもの微笑みで聞いていた。
しかし、である。そもそも、五体満足な人間に模したデザインにするのはコスト的にあまり得策ではないのではないか。どうやら我が上司の考えもおなじらしく、彼がデザイン課長にその理由を尋いてみると、そんなこともわからないのかと言わんばかりの軽蔑を顔に滲ませながら、然るべきものから然るべき匂いを生み出さないと、せっかくの自然の香りも脳に異臭と判断されるのですよと、子どもに諭すような口調で説明し、それに彼女の本質は空気清浄機ではなく犬猫みたいな愛玩動物なものですからね、まあ、お手元の資料をすこし読んで頂ければその意味も解りますよ、とも付け加えた。
▼天使システム意識調査の考察
天使システムにより身体に何らかのペナルティを負う国民を対象にした意識調査の結果、現在の生活に不満をもつ国民は全体の20%、不満は感じないが快適だとも思わない国民は70%、天使システムを歓迎しているのは10%という統計が得られた。
4年前と比べ、不満をもつ層が20%近く減少し、不満を感じないが快適だとも思わない層が約17%も増加しているのは、ひとえに天使システムに合わせた生活環境の改善によるものだろう。急増している四本肢の人々にあわせて電車の車両設計も見直され、4年前は健常者を想定したサービスを行っていた飲食店や公共施設も精神病患者へと焦点を当てるようになり、ペナルティによる身体の変容を踏まえて服飾も多様性を増し、その経済効果は計り知れないものとなっている。
先日行われた天使コレクションでグランプリに輝いた市川緋乃子氏は、赤色拒絶症で変色したワインレッドの皮膚に身を包まれているだけでなく、極度の乗物依存で六本肢を持たされているが、その人間離れした体躯で絢爛な衣装を着こなしたことで多くの女性精神病患者の注目をひいた。・・・・・・。
我が社では、論理も検証も穴だらけな学生の手抜き論文よりもひどいこんな代物を出した社員は即刻はらわたをぶちまけられるのだが、論理のなんたるかを知らない会社が論理拒絶症の制定に関わっているのは皮肉としか言いようがないのだが、この報告書の意味するところはつまり、本来「より良い人間生活」のための天使システムによって、思いがけずというか予想通りというか、大半の精神病患者はヒトのすがたで生活することをほぼ完全にあきらめてはいるが、それでも自分らがかつてヒトだったことを思い出し、懐かしむことは良い気休めになるのもまた事実なので、五体満足な人間を模した経理課の彼女のようなペットが今後流行するにちがいないとポパイン社は読んでいるということだ。
(続)
▼ニュースポータル
【お騒がせ作家がまたもや逮捕。女性作家宅への不法侵入で】
8月15日未明、文田川萬次郎の筆名で作家活動を行っている畔上悟(54)が、同じく作家の綿麻りさ氏の住むマンションに不法侵入したとして逮捕された。畔上氏は、先月から綿麻氏宛てに文通と称した脅迫文を毎日送りつけ、住居周辺から綿麻氏の部屋の様子を窺うなどのストーカー行為を繰り返しており、綿麻氏は外出すらままならない状況だったという。綿麻氏は精神的に自立した関係を求めており、自分はその手助けをしたにすぎないと畔上氏は供述している。なお、畔上氏は昨年6月にも、教え子に対する猥褻行為の疑いで教授職を解かれていた。
月刊ヤングリテラチャー 10月号
今月の文学仮装大会は、文田川萬次郎先生急病のため、お休みいたします。