運命の猿姫が歌うラブソング
マウンテンゴリラ、民家に侵入 住民3人を怪我させ逃走
4日夜、埼玉県所沢市中富地区の民家にマウンテンゴリラが侵入し、住民3名が襲われた。所沢署によると、午後11時20分ごろ、獣の鳴き声を不審に思った男性が様子を見に外へ出たところ、門前でマウンテンゴリラに遭遇し、すぐさま家の中に逃げたが、マウンテンゴリラは玄関扉を破壊し侵入した。肩や背中を殴打された妻と娘は数か所骨折したが、命に別条はない。
《エージェント》
第2会議室 ―― 2014年3月14日 15時30分
まずはじめに、私の右手、あなた方から見て左手に座る純白のベールを被った大柄の女性は、われわれの創り出した最高のミュージシャンです。いや、それ以上、現時点においても、人前で歌ったり演奏したりしたことはまだございませんが、日本一の女性シンガーだと言って差し支えないでしょう。
勿論、われわれがそう決めたのではありません。日本の音楽好きのニーズに応えるべく、われわれ専門家のあいだで幾度となく会議を開き、フォルム形成について比較検討し、世界中さまざまな曲の親和性を考えたうえで歌唱の方向付けを行い、持ち得る技術を惜しみなくつぎ込み実現へとこぎつけたのですから、これはもう我が国が最高だと定めたと言っても良い。
穢れなき白いベールに包まれた顔はいつもうつむき加減でアンニュイな雰囲気を醸し出し、フランス仕込みのとろけるウィスパーボイスも初期搭載、そんな慎ましやかな身体的仕様から想像されるバックトラックといえば、荘厳華麗な教会音楽かアンビエントかと思われますが、残念ながら、彼女、もといわれわれは、そんなありきたりな発想などいたしません。
なぜに? 母の仕事の都合で幼少期に世界各地を転々とした彼女は、そのうちでも特に滞在期間の長かったパリとロサンゼルスを故郷だと見做しているので、歌唱は前述のとおりとして、曲作りにおいても、ちかごろロサンゼルスを席捲しているような綺麗で、幻想的で、けれども荒々しく無秩序なビートミュージックを意識しているというわけです……。
おっと、ご質問がおありのようですね? どうぞ?
この御時世、露出を避けてきたシド・バレットのように、公衆に顔を出さないアーティストなど流行るわけないし、プロレスラーも道を開ける巨体なのにも関わらず趣味が「妄想」だったり、肌が浅黒いのに白いベールという不釣り合いが気になると?
まったくもう、御冗談を。
みなさまには、雨風の烈しくおどる春の嵐のただなかをお越し頂いたのですから、貴重なご質問に対しては、十全に納得していただけるよう億の言葉を尽くしお答えさせていただく所存ですし、無礼を承知で申し上げますと、今日この場かぎりにおいては許されるとも考えております。この会議室につどう、建築、絵画、生物学、看護師、音楽、文学、アニメーション、それら七つの運命をつかさどり、人間たちにみずからの進むべき道を示される運命委員会のお歴々におかれましては、私のつたない説明を受け入れる深いふところをお持ちだと信じておりますゆえ。
《運命委員会アニメーション部長》
第2会議室 ―― 2014年3月14日 15時45分
そのとき彼のもっとも考えるべきことは、鼻もちならないエージェントの横でうつむき加減に座っているベール娘の使い道のはずだったのだが、そんなことは妻の度重なる流産くらいどうでもよく、春の雨嵐に打ちのめされてくたくたになった妻お手製カバンの中身の安否の方がはるかに気がかりだった。
それは、今日の会議で紹介される人間たちについての書類でもなければ、ちかごろ作家デビューした教え子の処女作でもないただの剃刀なので、濡れるぶんにはまったく問題ないのだが、水をしこたま吸ってゆるんだ鞄の継ぎ目からどこぞへ落ちていやしないか心配で仕方なかった。
鞄のつくりがゆるいだけならまだしも、そもそも、妻は身も心も何もかもがゆるかった。夫より背の高いうえに骨太で、もともと太りやすい体質なのは本人がよく判っているのにも関わらず、二度めの流産以後は、ストレスなのか、はたまた女としての希望を失くしたのか何なのか、菓子パン界でも指折りのカロリーを誇るローズネットクッキーを日にいくつも頬張る毎日で、そしてついに一昨日、140キロというおぞましい数字が体重計に記されていたのである。
その数値たるや、なんと結婚当初の約二倍。
瞳にうっすら涙をためつつも、前歯と口角にクッキーの滓をしっかり付けながら、体重計から無情な宣告を受けたことを妻が話しているとき、彼女の頭上にGAME OVERの文字がネオンのように瞬いているのを彼は視た気がした。だれがどう見ても、ひとりの女として、生活習慣病との鬼ごっことして、つまり何においても終わりだと思うだろう。とはいえ、実のところ、本当の意味で人生をゲームオーバーしてるのは夫の方だった。それもこれも、ちかごろずっと報道紙面を占拠している「西池袋ダンプカー歩道乗り上げ事故」に巻き込まれるのを、とある条件つきで神が助けてくれたおかげである。その条件こそまさしく運命委員会への参加であり、昼はいつもどおり予備校でしっかり働き、深夜、ねむりに落ちたあとは、他人の進むべき道をひとびとの無意識下で決め、その決定を天啓というかたちで示してやりなさい、というわけだ。
そんなこんなで歩道に突っ込んできたダンプカーを寸でのところで避け、盛大にすっ転び頭を打って意識をうしない、病院に運ばれても2週間ずっとねむり込んでいた彼は、ふつうに生活しているひとよりも忙しい毎日を意識の奥底で送ることになった。カリスマ塾講師としてあまたの少年少女を名門大学に導いてきたとはいえ、見知らぬ他人を運命のもとに導くのはむろん初めての彼である。昏睡している期間は、閻魔さまも震えおののく厳しい新人研修に充てられた。
とはいっても、研修で学ぶこと自体は、運命会議でのふるまいや、エージェントの連れてきた人間の適性を見抜く眼力くらいなので全然たいしたことはなく、真に極悪非道なのは、失態を犯した新人に対する仕置きだった。仕事のできないことに関しては眼をつむる研修担当がゆいいつ嫌うのは、忘れものや遅刻などの気のゆるみから生まれるミスであり、仮にそんな失態を犯したら、ビルの地下153階に設えられた天罰ルームに送られて、数時間、ひどいときは数日ものあいだ、釜茹地獄やら水車の罰やらで喝を入れられるのである。
そんな地獄よりも地獄らしい部屋のとなりに居をかまえる閻魔さまは、日がないちにち隣室からひびく悲鳴に耐えきれず、さすがにやりすぎではないか、もっと人道的になるべきだ、痛みは憎しみしか生まないのだと何度も神様を諭したが、返ってくる応えといえば、人間は躾でしか学習しない動物なので仕方あるまい、そもそも、そんなに悲鳴が気になるなら引越せばよいではないか、という非情かつ的確なもので、労働環境がマシになる兆しはいっこうに見えなかった。
若干ADHDの気のある彼は、書類忘れのせいでほぼ毎日天罰ルームに送られたものの、結婚してから毎夜毎朝、巨体の妻に馬乗りにされるという地獄で精神を鍛えてきたので痛みにはめっぽう強く、熱湯の湖で薄れゆく意識をなんとか保ちながら、あるいは延々と廻る水車に酔ってげろげろ吐きながら、いままで生徒にしてきた悪事の報いが返ってきたのかもしれないな、などと暢気に考えるのであった……。
リポーター「いま、私は、鉄拳塾の門前に来ています。こちらの予備校は浪人生を対象とした塾ですが、校舎の横に寮が併設されており、敷地も広大で、出入り口には高く堅牢な門がそびえているという、まさしく閉鎖的な塾の体質を反映したような外観です。ちかごろ、入寮の強制や体罰などの行きすぎた指導が各メディアで取り沙汰されていますが、その実態をつかむため、鉄拳塾の生徒さんに、直接話をうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします」
男子学生「はい」
リポーター「鉄拳塾の行きすぎた指導がちかごろ問題になっていますが、実際にはどのようなことが行われているのでしょうか?」
男子学生「規則や風潮で厳しい面はたしかにありますね。模試の結果が良かったら寵愛の正拳突きで、普通の成績なら激励のビンタをされるって感じで」
リポーター「なるほど。体罰のようにも見えるそのような指導を疑問に思ったことはありますか?」
男子学生「やりすぎじゃないかなと思うときはたまにありますけど、そういう方針の塾だってことは入る前に説明されているので、ある程度は仕方ないかなぁって」
リポーター「なぜ入塾したのでしょうか?」
男子学生「入る前からすでに僕は三浪していて、どこにも通わず自宅で勉強を続けるのは自己管理的な面で問題があると感じたので、厳しい指導なのはだいぶ前からすこし問題になってはいましたが、それだけ面倒見も良いだろうと考えた結果として、鉄拳塾にしました」
リポーター「一部からは人間ではなく、動物のような扱いだとも言われていますが……」
男子学生「たしかに躾のようにも感じますが、それくらい厳しくないと甘えてしまいますし、模試の成績もじっさい上がっているので、悪い面ばかりではないような気がします。僕だけじゃなく、みんな平等に殴られているので……。それに、体罰よりも受験に失敗する方が怖いですし、僕に限っていえば、もう後がないんです」
他人とおなじ道を歩めないことで心に傷を負わないために、身体への痛みを欲する生徒たちに拳を振るうとき、鉄拳塾の講師は毅然とした表情をしながらも少なからず胸を痛めたものだが、彼の場合はそうではなく、血にまみれた拳骨を眺めたり、成績不振者用の『叱咤のおぽんぽんパンチ』を食らって膝から崩れ落ちる教え子を見下ろしたりしているときに、罪悪感をおぼえたためしなど一度もなかった。講師について十何年、とにかく彼は冷酷無比に拳を振るい、成績優秀者の鼻を折り、可もなく不可もない生徒の頬を真っ赤に染めて、出来損ない連中の胃の中身をもれなくぶちまけさせた。「学問は顔つきを変える」というコピーで有名な鉄拳塾に入れば、なるほど、受験の終わる頃には顔つきというよりは顔のかたちそのものが変わっているという寸法だ。
その一方で、たしかに生徒たちを痛めつけているが、それは仕事だからであり、かくも醜いうえに子どももろくに産めない私を受け入れてくれるくらい優しいのだから、きっと心の奥で涙を流しているはずだ、などと妻は希望を抱いていたが、それは完全な思いちがいでしかなく、彼にとっては妻も野良犬も一緒のカテゴリーに過ぎなかった。なついてもらうために犬猫に餌をあたえるのと同様に、彼女に対して寛容なのはあくまで夜のお伴を確保するためで、ダイエットに失敗したり、お腹の我が子の道案内を間違ったりするたびに、あたたかな微笑とともに「きみは悪くないよ」と宥めてやるだけで、娼婦を買うまでもなく快楽のナイトフィーバーに毎日ありつけるのだから安いものだった。
そうは言っても、他人への不感症きわまる彼もヒトの子には違いなく、多少の歓びを感じるときは当然あり、その貴重な瞬間をもし見たければ、朝10時に塾校舎1階のトイレをのぞいてみればいい。そこには、年季の入ったピンクの剃刀で丁寧に髭の手入れをする男の微笑ましい姿がある。
母の形見でも妻のプレゼントでもなく、大学生のときに家庭教師で教えていた中学生の女の子の家から盗んできた剃刀は、ふるいうえに切れ味など皆無に等しかったが、彼の心底惚れていた、背が異常に高く、肌の浅黒いあの娘の愛用品に違いなかったからだ。そのとき彼が鏡に視るものは、顔に剃刀を滑らせている冴えない男の姿ではなく、筋骨隆々の見た目からは想像もつかないくらい愛らしい剃刀を選んだ彼女の笑顔だった。
《父と妄想》
R大学 文学部 とあるゼミの「父の日」エッセイ課題より
森の奥深くで山犬に長年育てられた少女が、イケメン弓使いと何やかんやの末に結ばれるのが『もののけ姫』のあらすじだから、マウンテンゴリラの父を持つ私がそんな未来を夢見るのは当然なのだが、実際待ちうけていたのは、腕に呪いの痣のある青年などでは決してなく、剃っても剃ってもしつこく生える全身の毛と闘う日々だった。
いくら遺伝情報に大差ないとはいえ、異種間の交配によって私は生まれたわけで、いつか異変が起きるに違いないと覚悟してはいたけれど、ちょうど胸のふくらみはじめるくらいから、首、腕、胸、お腹の毛が夏草みたいに伸びはじめたのにはさすがに参った。寒暖の差のない低地に住むローランドゴリラの体毛は、細く短く、茶色および赤みがかったすこしお洒落な感じなのに対して、寒さのきわだつ高地のマウンテンゴリラは真逆で、ご多聞にもれずマイダディも黒く太い剛毛に覆われていたから、私はその性質を継いだことになる。むかしの女のひとははじめての生理を赤飯やおはぎで祝ったらしいけど、このまま毛を野放しにしていたら、その日を迎えるまえに私自身が全身まっくろの人間おはぎになってしまうので、となりの森嶋のおじさんが刈払い機をかついで畑へ出る朝の5時、私も剃刀片手に身体の密林を伐採するのが日課となった。
親や体質のちがいの生む自意識のせいで友人のいなかった私にとって、あたまのなかで別世界を造り出し、そこで生まれる物語を妄想するのがゆいいつの趣味で、まるで親のかたきみたいに体毛を敵視することに疲れはじめてからは、じぶんの身体をファンタジーの舞台として有効利用することに決めた。
どうせ身体を変えられないならせめて楽しく付き合いたいというわけで、私の考えた設定は、各部位の体毛ごとにことなる小人の民族や微生物が住んでいて、ひとびとは毛先に成る果実や、狩った微生物で空腹をしのぎ、ときには現実世界とおなじように他の部位の民族と争ったり同盟を組んだりする、というものだった。
その妄想の素晴らしいのはその気になれば死ぬまで遊べる点で、たとえばある部族が世界統一に成功し物語に区切りがついても、事件に居合わせたひとを変えるだけで物語の展開はもちろん、覇者も変わったりする。妄想についてのそんな持論を大学生の家庭教師に話したら(体毛のことはもちろん伏せて)、蝶が羽ばたくのがきっかけで大きな竜巻が起こる、というバタフライ・エフェクトについて教えてくれた。だれかの何気ない行動がものすごく珍妙でありえないほど悲しい出来事を引き起こすという話。
私のパパはいまや世界に700頭しかいない希少な種で、人間との婚姻はおろか、飼育するのにさえ多くの障壁があるはずなのだが、世界に名を馳せるゴリラ研究家の母、ダイアナ・ファッシーは研究という名目で同居の許可を勝ち取り、ご近所さんの奇異なものをみるような眼もまた、夫ではなくペットと偽ることでうまいこと誤魔化してしまった。
【寸劇】愛は種族を越えて……
登場人物
・私 ―― 女性、16歳、痩身、艶やかなブロンドの髪、浅黒い肌、骨ばった顔
・ダイアナ・ファッシー ―― 女性、42歳、碧眼、中肉中背、
・ニシローランドゴリラ ―― オス、35歳(人間年齢54歳)、
3月19日。21時28分。埼玉県所沢市のはずれ。この時期特有の、むせかえるほど濃い春の芳香と、乾いた冷気の混ざった空気。田中家の居間。長テーブルのこちら側には私とダイアナ、向かい側にはニシローランドゴリラが座っている。
ダイアナ ご丁寧な自己紹介と志望動機をありがとうございます。少々緊張されているのか、話に分かりづらい部分がありましたので整理させていただきますね。ニシローランドゴリラさんの我が家への志望動機は、残りすくない人生をおだやかな環境で過ごしたいのと、老後が心配なので、御自身よりも年下の先のながい人間に面倒を見てもらいたいから、ということでよろしいですか?
ニシローランドゴリラ (小さく頷く)
ダイアナ あなたの長所を教えて頂けますか?
ニシローランドゴリラ (眼を見開いてダイアナをじっと見つめる)
ダイアナ ありがとうございます。なるほど、ガボンの森林で長年群れを率いたことで培われたリーダーシップが強みというわけですね。優ちゃんは何か聞きたいことは?
私 (眼鏡のつるを指でクイっとしながら)そのリーダーシップとやらを我が家でどのように活かせるのかが気になりますし、群れを率いてきたゴリラはそれこそ星の数ほどいるので、リーダーシップの内実を証明して頂くことがなによりも重要ですね。
ニシローランドゴリラ (盲点を突かれたのか、しばらく眼をしばたたかせる)
ダイアナ 優ちゃんの意見はもっともですけど、残念ながら、私自身は「夫」となるゴリラにリーダーシップを求めていません。群れの長たる野生のゴリラはオス一匹につきメス複数を連れそうものですが、私がゴリラに求める役割は「ペット」ではなく「夫」なので、ゴリラ社会の常識に馴染めなかった個体の方が好都合なのです。
ニシローランドゴリラ (訝しげな顔つきで頬をぽりぽり掻きはじめる)
ダイアナ あなたの仰るように、私の元夫はゴリラ社会に馴染めなかった負け犬、いや、負けゴリラかもしれませんが、じぶんを囲うたくさんのメスを求めたことはないうえに、生態的にストレスに弱いはずなのにも関わらず忍耐強かったので、夫としては紛うことなき勝ちゴリラでした。そんな彼でさえ、愛用の剃刀をなくしただけで家を飛び出し二度と帰ってこなかったことを考えれば、ふつうのゴリラには人間の生活は耐えられないでしょう。さあ、お帰りください(玄関に向かって勢いよく指をさす)
そんなゴリラ離れした気の長さを誇る父のもっとも嫌いなものを紹介しよう。
毎日の体毛伐採のおかげか、私の外見は、異常な背の高さや肌の黒さをのぞけば、そこらの子と変わらないどころか男ウケの良いものだったらしく、中3になってからいまになるまで年上のひとと何度かお付き合いしてきたが、そのどれもが父に認められず長続きしなかった。べつに娘の貞操を心配してとか、人間ではなくゴリラのオスが良かったからとかではなく、家に連れてきた恋人がことごとく彼を私の父ではなくペットとして認識し、見下してるのかと思うくらいの甘い猫撫で声で話しかけたり、バナナを檻のなかに放り投げて遊んだりして、家長としてのプライドを傷つけたのが原因だった。
もちろん仕方ない面もあり、家族以外のだれも彼を私の父だと見抜いたひとはいなかったし、なにより母が夫婦であることを隠していたので、私自身もだれにも彼を父親だと紹介したことはなかった。ちなみに、恋人を家に連れてくるたびに、父は、地鳴りを起こしてご近所を驚かせるほどの怒りのドラミングを披露したものだが、私がインターネットで発表している曲のリズムはすべて彼の発した音なのだ。
私が曲を造りはじめたのは、失踪した父に帰ってきてもらうための捜索願いや、地域のいたる場所に大好物の鯖を置いたりなどのあらゆる作戦すべてが無駄足に終わり、もう二度と彼は戻ってこないのだと確信した春の日だった。いなくなってからも当然ものがなしさを感じていたのでお得意の妄想に彼を混ぜようとしたが、物語に絡むところをうまくイメージできずに悶々としていた日々が続き、最終的に私の行き着いた方法は、他のゴリラの奏でるぽこぽこという軽い音とは一線を画した、力強く、重厚で、天まで届くかと思わせるようなノビのある父のドラミングの音を利用することだった。
思い立ってからは早かった。むかし母の撮ったホームビデオが幸いにもたくさんあったので、すぐに作業に取りかかることができ、パソコンを使って動画から音声を抽出し、ノイズを排除して、ガレージバンドで造った音に私の歌を重ねればあっというまに完成した。見た目から想像できないほど高いうえに、聴くひとがねむくなるような気だるさをもつ私の声と、父の怒りのドラミングが合わさるのはちょっと不細工だったけど、まだじぶんの身体に異変のなく、父と眼でちゃんと通じあえた幼少期ぶりに話せた気がして嬉しかった。これが物語も言葉も要らない私のとっておきの妄想だ。