東京の本郷に『こくわがた』という立ち食いうどんのお店があります。オーダーは食券制で、うどんが出来次第番号を呼ばれ、受け取り口まで取りに行くシステムです。揚げ玉やねぎなどもそこに用意してあり自由にトッピングができます。平打ちの麺は粉の香りがきちんとして、出汁もなかなかです。神保町の「丸香」や赤羽の「手打ちうどんすみた」ほどではないですが、出汁の味と小麦粉の風味がきちんと香るうどんが安く楽しめるお店です。
こちらのお店で印象深かったのは、とても活気が感じられ、立ち食いとして非常に居心地が良かったことです。もちろんこのお店では、注文を取りにも来ないですし支払いのやりとりもないので、店員と客の関わりは多くありません。では、その居心地の良さはどのように形作られているのでしょうか?「接客」という言葉から、そのことを考えてみましょう。
接客という言葉を聞いた時、多くの人が想像するのは言葉遣いやオーダーの取り方などを始めとする店員の振る舞いだと思います。しかし、接客を文字通り「客と接する」ことと考えるとき、店員にのみ注目するだけでは不十分です。それには2つの理由があります。
1つめに、店員が良い、あるいは悪いと感じる時、私たちは店員の姿勢以外のところからも様々な情報を取り入れ、それを含めた総合的な判断をしていることです。例えば、一見様お断りの高級店と町の定食屋とでは、店員に求められるものが違います。そういった「ふさわしさ」の観点が接客の評価には入っているはずです。つまり、一口に「店員が良かった」といっても、そこには店の表現するコンセプトにおいて店員がどういう位置にあるかということを加味した上での判断があることです。そういう意味で、店員のみを見て接客を考えるのは適切ではありません。
2つめに、接客をする術は、当然ながら対面でのコミュニケーションに限らないことです。今や喫茶店やファストフード店などを始めとして、店員があまり重要な存在ではないようなお店が数多くあります。そこでは、店員よりも、サービスや内装、他の客などといった、時間を過ごすためのあらゆる環境が、店と客の接点になっています。マクドナルドの椅子が固いのは長時間居座る客を追い出すためだ、という話が一時期有名になりましたが、このようにして、その店が客に求めていることや姿勢は環境に如実に表れるのだと言えます。
つまり、接客は、予約、注文、内装など、客を取り巻くあらゆる環境に表れています。そこから、店側が客をどのようにコントロールしているか、そこにどのような姿勢が表れているかを読み解くことが、接客批評のベースとなるでしょう。
改めてうどん屋の話に戻り、その接客を見てみましょう。すると、この店の居心地の良さは、お店に入ってから出て行くまでの流れがスムーズなことが大きいことがわかります。
食券を購入した際には、そのデータが直接機械から厨房に送られ、すぐさま料理を作り始めることが可能になっています。また、厨房が半ばオープンキッチンのようになっていることで、迅速に、そしてきちんとしたものを提供しようという熱が、客の方でもじかに感じられます。それにより、対面のコミュニケーションがほとんどなくとも、厨房で飛び交っている檄と出入りの際の威勢の良い挨拶だけで、客の方に作り手の顔、姿勢が伝わるようになっています。味の方は最初に述べた通り、きちんとしたうどんの味で、値段も並が390円と手頃な価格。この店が居心地よく感じられるのは、店員も含めた店全体がファストな時間を過ごす場として理想的な環境であること、また客の側でもそのコンセプトを察しやすい環境になっていることの2点に因っていると言えます。
こちらの立ち食いうどんには、決して高度な接客技術を擁した店員がいるわけではありません。その代わり、コンセプトに合った店の環境が店と客との関係をうまく取り持っています。立ち食いとして理想的な接客がある点で、本郷三丁目の『こくわがた』は味わいのあるお店なのです。