空乃木凛さんの『天籟の麒麟』の批評を書きます。
この作品は、以前採りあげたノベルジャム2019で制作され、見事グランプリに輝いたチームKOSMOSKOSMOSの森きい子『天籟日記』の二次創作になります。
まだお読みでない方はオリジナル作品の僕の批評記事もあわせてどうぞ。
- 問答無用、斬捨御免。
- 原則、冒頭から読めた部分までしか読みません、時間は有限なので。
- 以下の批評は、羊谷知嘉個人の責任でおこなうものです。
- 反論歓迎。
- 批評をご希望の方はご依頼ください、批評記事のRTと引き換えに承ります。
- ジャンル不問。
―1887年― アフリカ東海岸・ソミニア共和国・キスマーヨ港
まだ真新しい港に大きな船が停泊している。船の真ん中には煙突が生えており、黒い煙をモクモクと吐き出している。イギリスから購入したばかりの蒸気船が次の航海の準備を行っていた。船には多くの人がせわしなく乗り降りしている。船の後方には一際大きな口が空いており、屈強な男たちによって積荷が運び込まれている。荷物の中は綿花を始めこの辺りの特産品ばかりだ。荷物を担いで船に乗り込んだ男が中から顔を出して船外の男に声をかけた。
via. 『天籟の麒麟』
作家がだれに向けて作品を創るかはきわめて重要な問題だ。
神に、王に、権力者に、自分に、市民に、大衆に、マーケットに、あるいはその全てや複数に向いた意識が作品の品格と魅せ方を決定付けるといっても過言ではない。
たとえば、安価な缶チューハイが人工甘味料を盛りに盛るのは粗悪なアルコールの不味さを表面的に誤魔化すためだが、当然、それを美味しいと感じられるのはベタベタな人工甘味料の下品さにグッとくるというか、少なくとも味の構造を見極められるほどには舌の洗練さをもたない社会階層におのずと限られるはずだ。
本当ですか!嬉しいです!
素人が初めて書いた物なので申し訳ないと思っていたのですが、厳しく読んでいただければと存じます。
天籟日記の2次創作として書いたものです。表紙も自分で作りました。
お時間の許す時にお願いいたします。https://t.co/v5gzeKBiMZ— きりんさんが好きです (@Hastorang) December 25, 2019
空之木凛の二次創作「天籟の麒麟」は「素人が初めて書いた物」らしい。
その観点でいえば、冒頭の丁寧な書き出しは相応の教養と文章力を感じさせるきちんとしたもので、初めて書いたにしては、という横柄な言い方が許されるならばなかなかに悪くない出来だ――少なくとも数行を読んで僕がそっ閉じする拙さではない。
特に、二次創作ということを考えた場合、森きい子の原作が、即興小説というフォーマットゆえか本人の筆力ゆえか世界観のディテールの乏しさが目立つ出来だったのでオリジナルの補完という意味で空乃木のこの作品は高く評価できる。
もちろん、技術的な指摘ができないわけではない。
たとえば、場面毎の切断とその展開のさせ方が舞台の一幕一幕として進んでいるためあまりに視覚的過ぎ、言葉のうえでなら全てが可能になるという言語芸術の面白さに欠くのにくわえ、線条的に流れる文章のなかで物語の時間が跳んだり撥ねたり膨らんだり萎んだり遡ったり入り混じったりする時間芸術の面白さというか配慮に欠けている。
おもうに、空乃木の作品を読んで「素人臭さ」を感じるとしたらその原因はこの部分、つまり、場面毎の切断と展開の安易さにあるはずだ。
まあ、場面展開の巧拙、本質的にいえば語りと物語の時間操作が世間一般としてどれほど市民権を獲ている考えかたか僕は知らないので、小説をはじめて書くひとがこのあたりを意識できていないのは無理からぬことだ。
空乃木にとってそれ以上に大事なことはこの作品が面白いか面白くないかでいうと面白くないこと、正確には「だれ」をどうやって面白がらせるかが不明確な意識で創られたことだろう。
前述の場面展開のさせ方からしてもこの書き手は言葉のアートとしての面にこだわるタイプではなく、プロットに謎と仕掛けをこしらえたり人間関係に動きをもたらす物語でもないので、実際の読者が好むか好まざるかは別にしても書き手の狙いとしては作品の魅力をアートなりエンターテイメントなりに、あるいはその両方に振り切れているとはとてもじゃないが言い難い。
また、二次創作として観た場合も、原作の主要登場人物2人が本作にも出ているがその登場シーンは物語の終わりの方でかつ1、2往復の会話を往復させるに留まり、原作のファンを愉しませようという意識も明確には感じとれない。
実際のところ、原作の世界観で自分が書きたいことを、自分自身を想定読者として書いたというのが正直なところだろう。
商業的に書いたものでない限り読者――それが具体的に何であるかは別にして――を面白がらせる意識の欠如がかならずしも悪いとはいえず、自分自身を想定読者にして書くことはアーティストとしてはむしろ大事だが、想定読者に幅をもたせること、つまり、自分自身のみならず、さまざまな社会階層、あるいはその外部の存在に対しても創作することは、今の現代社会がいかにたがいに接続しやすいかを考えると僕は想定読者に総合的な厚みのある作品の方をより高く評価せざるをえない。
まあ、物語と時間操作の問題もそうだが、結局は空乃木の人格というかパーソナリティーの問題なので何をどうしたら良いという言い方までは僕はしないし、できもしないが、基礎的な文章力はきちんとある書き手なので、場面展開の仕方と自分以外の想定読者をいかに面白がらせるかを意識して次作に挑むと確実により面白いものが出来るのは間違いないだろう。