近代の学問、産業、芸術上の大きな産物は、専門主義ないし分業化でした。現代では、インターネットの登場などを背景に繋がりとしてのネットワークが重要となっています。労働環境は多様化し、学際的な研究は増え、芸術も複合化しています。そこでは常にコミュニケーションの問題が我々を悩ましています。
本記事では、良く言えば、研究者や技術者といった理知的な人たちに、悪く言えば頭でっかちな人たちに、現代社会を生き抜くために必要なコミュニケーション能力について、リーダーシップ論やコーチング論の知見をベースに具体的な技法を紹介していきます。
何故、今、コミュニケーションを考えなければいけないのか
電話の発明が遠くにいる人と会話することを可能にし、インターネットの発展が世界の裏側にいる人たちとの交流を容易にするなど、コミュニケーションの様態変化は同時にその重要性にも違う側面を与えます。ここで、現代社会におけるコミュニケーションの重要性を再認識してみましょう。
たとえば、グローバリゼーションに伴い、人種、国籍、性別、セクシュアリティなど多様なバックグラウンドを持った人たちとの交流が可能になり、ビジネスシーンにおいてはそうした多様性との協働が要請され、おたがいの異質さに配慮した意識的なコミュニケーションが不可欠となっています。
また、企業活動の生きる道が、大量生産大量消費の工場モデルから価値創造のデザインモデルへ変わるなかで、労働環境のクリエイティビティが称揚されはじめました。組織内のクリエイティビティを上げるためには、営業ノルマをクリアせよといった従来通りのトップダウンのコミュニケーションではなく、それぞれの従業員の性格や感情を踏まえた関係性重視のコミュニケーションが必要です。
アカデミック業界でも、イノベーティブさの指標に国際的な研究チームの重要性が挙げられることや、専門分野を越えた交流が重要視されていることから、学問領域の壁はより頻繁に乗り越えられはじめているといえます。研究者と技術者、実務家の連携も、加速度的なイノベーションのなかで非常に重要となっています。研究チームは多様化し、専門知識や視点、アプローチの違いなどの異質さを越えるコミュニケーションがビジネスシーン同様に求められているのです。
端的に言えば、現代社会のコミュニケーション能力とは、①多様性に対応し、②クリエイティビティを向上させ、③情報収集を効率化するという三点に直結する問題です。それゆえ、コミュニケーション能力は、なんとなくあった方が人生を愉快に生きられるという曖昧なものではなく、現代社会の最前線で戦い続けるために要求されるという非常に具体的なスキルなのです。
あなた以上に物語るあなたの印象
では、コミュニケーション能力のスキルアップについてどこから手をつけるべきか話を進めましょう。
結論から言うと、コミュニケーションは印象が全てです。
あらゆるコミュニケーションは印象から始まります。印象とは、すなわち、良い人だなとか、面白い人だなといった短時間で獲得された直感的ないし感情的なイメージです。何故、印象がコミュニケーションの全てかというと、人間の意識に対し、理性よりも感情の方が圧倒的な影響力を持っているという心理学的・脳神経学的事実からいえます。つまり、我々の認識は、感情的なバイアスの上で理性的な吟味がなされているのです。
これに対し、研究者の行う、分析や検証という行為は、感情バイアスを意識的に遮断し、事実や事象、あるいは作品に客観的に向き合っていくもので、素朴な状態とは相反します。研究者や技術者といった人たちは、前述した感情バイアスを排除したアプローチに慣れているがゆえに、対人コミュニケーションにも感情を抜きにした理性的な判断を要求しやすいのです。
しかしながら、現実は、感情バイアスによって我々のコミュニケーションは支配されており、みずからの能力や意見がどんなに優れていても、相手に悪い印象をすでに与えていた場合はたんに誤解や曲解を生むだけです。自信があるときこそ、相手の感情バイアスがどのように働いているかを意識してコミュニケーションをする必要があります。
それでは、好印象を適切に形成する3つのステップを紹介していきましょう。
1. 感情表現を豊かにする
最も簡単でかつ最も効果的なのが、感情表現を豊かにすることです。相手の感情バイアスにはこちらも感情的なアプローチをすることが最適です。具体的には、楽しさや美味しさといったポジティブな感情を意識的に1、2割増で表現することです。
コミュニケーションはそもそも複数の人間で共有する体験なので、片方のポジティブな感情表現は、程度の差こそあれ他の人にも伝播します。一般的に笑顔が多い人がなぜ好かれるかといえば、その人と一緒にいることで自分も笑顔になり、そのポジティブな感情体験が基盤となって好印象を生むからです。ここでの決定要因は、相手が笑顔だからというよりも、自分が笑顔になれたという記憶です。つまり、自分の印象は「与える」ものではなく、相手の感情を誘発する「引き出す」ものだからこそ、こちらのポジティブな感情を割増して表現することがきわめて効果的なのです。
2.オープンクエスチョンを活用する
研究者や技術者は、その専門知識の豊富さから一度話し出すとひたすら話し続けられます。それゆえ、かれら同士のコミュニケーションは、俗に言うキャッチボールではなく、ひとりの人間が2、3分話し続けることを交互に繰り返すディベートのようなものです。そのため、たがいの専門分野がまったく違う場合には、相互共有された知識の土台がないために議論が積み上がりません。また、研究者や技術者と実務家のコミュニケーションや、そもそも相手との知的レベルに大きな違いがある場合でも、一方的な議論は余計に自分の印象を悪くする要因にもなります。
質問の意義を考える上で重要なのが、知識や教養は力であるという認識と、一方的な議論は相手にリアクションを取らせないマウント状態に繋がるという認識です。話し相手の意見が高度すぎたり異分野でありすぎたりする場合のリアクションがうまく取れない状況は、居心地の悪さ、不安、自己効力感の減退といったネガティブなストレスを高めることに繋がります。人間のクリエイティビティや知識のシェアは、不安な状況や自己効力感の低い状況では大きく阻害されてしまうのですが、こうした問題を解消するために質問が活きてきます。
良い質問の絶対条件は、まず、オープンクエスチョンであること。イエスやノーで答える質問ではなく、相手がどう思うかといった制約がないオープンクエスチョンであれば、相手から引き出せる情報量を増やせますし、また、一緒の時にたくさん話せたという感覚はそのまま自分の好印象に繋げられます。
第二に、相手が個人的経験や視点を語りやすい質問をすること。この場合は主に二通りあり、まず、相手の経験を直接聞いてみること、もうひとつは、別なトピックについて、相手の仕事や研究といった独自の経験に基づいた話や意見を尋ねることです。いずれの場合も相手は自分の慣れ親しんだ事柄を口にできるので気持ちよくコミュニケーションできます。このポジティブな心持ちが好印象を形成する土台となります。
また、人によっては、会話の主導権を握りたい、自分の有能さを見せつけたいといった欲求が強いコントローラータイプの傾向を負っています。そうした人は、自分から意見するのではなく、会話のイニシアチブは質問でとり、的確な質問を加えることで自らの能力を発揮しようと考え方を変えることで、自分のコミュニケーションストレスを上げることなく、より柔和なコミュニケーションができるようになります。
3.存在を認識する(アクノレッジメント)
近年、スポーツのみならず、企業の経営者や医者などにも専属コーチが付きはじめ、コーチングという人材開発技法が熱い注目を集めています。そのなかで最も重要とされるのが、相手の存在を認識するアクノレッジメントです。
簡単な例では、相手を名前で呼ぶことが挙げられます。「お前」や「君」といった代名詞ではなく名前で呼びかけることでアクノレッジすることができます。共感能力やコミュニケーション能力の高さでソフトな女性が注目を浴びているのは、彼女らのコミュニケーション様式が、男性の仲間内での「お前」や「きみ」に対し、相手を名前でちゃんと呼ぶというアクノレッジがあるからといっても過言ではありません。
この初歩的なステップの次に、相手を褒めることも効果的なアクノレッジメントとして挙げられます。褒めるといっても、接待のようなあからさまなものではなく、先程の質問と結びつけるならば、相手の意見に対し、その視点の興味深さを褒めるといったことになります。同様の手法として、自分から主張する際、相手の意見を要約しつつ「◯◯さんが~〜と仰っていたように……」といった具合に、相手の視点や主張を自分の意見に組み込むことでアクノレッジすることも可能です。これは、相手の自己効力感を上げることに役立ち、内発的なモチベーションやクリエイティビティを引き出すことにも繋がります。
以上の3ステップを踏まえて、簡潔ではありますが、会話の流れとして実践的な活用法をまとめます。
- 感情表現:笑顔とポジティブな表現を心がけながら相手に話しかける
- 質問:相手の視点、経験、専門について聞いていく
- 感情表現:面白いですね、などのポジティブな感情的フィードバック
- アクノレッジメント:相手の意見がどう面白いのかを伝えることで、ちゃんと聞いてくれているんだという意識を相手に作り上げ、自己効力感を高めさせる
- 質問:前の意見を更に掘り下げる、もしくは新しい質問をする
- アクノレッジメント:相手の意見への応答ないし自分の意見に、相手の意見の要約と接合点を示す(「◯◯さんが〜〜と仰るように……」)
他者を認識すること
最後に、コミュニケーションにおいて重要な心構えについて触れます。それは、相手をよく観察することです。
例えば、感情表現を豊かにすることが効果的だといっても、理知的な人を前に、やばいっすねー、これめっちゃうまいっすねーと連呼するだけではかえって印象を悪くします。筆者も実体験として、これを実践しだした当初、知人から、「味に対する語彙をもう少し増やした方がいいのでは」とお叱りを受けてしまいました。相手がどういった人物かをよく観察し、それに基づいて、自分のコミュニケーションスタイルを意識的に変えていくことが重要です。
コミュニケーションとは双方向的なものです。双方向とは、すなわち、自分が何か言ったら、何かが返ってくる明確な相手、他者がそこには常に存在するということです。しかし残念ながら、我々の素朴で自然なコミュニケーションは、我々が思う以上に独りよがりなものです。他者を認識することが意識的なコミュニケーションの第一歩であり、この心構えの上で、本記事で述べたような技法は活きてくることでしょう。