1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃テロ事件、1月20日のイスラム国による邦人人質の身代金要求と、遅まきながらようやくイスラム過激派をはじめとする宗教上の信仰と原理主義の問題が日本国内でも議論されはじめました。
まず、クリスマスと正月が同居する日本の寛容な宗教観を発信せよという奇妙な言説が一部見受けられましたが(参考:1)、これは、多神教特有の秩序に対する厳格さを欠いた呪術的態度を称揚しているにすぎません。私たちの宗教観が寛容だというのなら、女性の社会進出がどうしていまだに叫ばれているのか説明してください。昨年度3260人の難民申請に対してたったの6人の認定者しかだせない国がですよ? 日本を誇るまえに恥を知りましょう。
条約にある難民定義を持ち出して難民を締め出している典型が、日本だ。
日本の難民受け入れ数の少なさは世界的に有名で、昨年度は3,260人の難民申請に対し認定者はたったの6人である。シリアから逃れてきた人びとに関しても、過去2年間で50人以上が難民認定を求めたが、法務省は1人も難民とは認めず、33人に対して人道的配慮から在留を特別に認めただけだ。日本で難民認定を受けるのは宝くじに当たるようなものである。
保護を求めて日本にやって来た人たちは、まず、入国管理局に留め置かれる。そして多くが、収容施設に入れられてしまう。これはもともと、強制退去手続きの対象となった外国人を、送還または放免まで収容する施設である。しかし、予算がないからと、難民申請中の人びともここに収容している。難を逃れてやってきた人たちに対し、それだけでも酷いのに、収容中の処遇にも、強い非難が上がっている。家族と会うのにガラス越し、病院に行くのに手錠・腰縄をつけるなど、まるで囚人扱いだ。
via. 岐路に立つ難民問題:柔軟な対応が各国に求められている
私は、 1990年代以降のフランスの優れた芸術作品が皆いちように国や街の酷い荒みを対象化していることを知っていました。たとえば、小説家ミシェル・ウェルベックの『素粒子』、映画監督ギャスパー・ノエの『カノン』『アレックス』、漫画家ヴィンシュルスの『ピノキオ』、エンキ・ビラルの『モンスター』、そして、ジャスティスやゲサフェルスタインの音楽ビデオです。もちろん、昨年上旬の統一地方選挙で極右政党の国民戦線が歴史的大勝を果たしていることも以前書いたとおりです。つまり、今度のフランスの襲撃事件は起こるべくして起こった陰惨な社会現象といわざるをえず、このことに、私たちは外国人として留意する必要があります。
「今すぐ出て行け」「これ以上ここにいると死んでもらう」。仏週刊紙襲撃など一連の事件で、ユダヤ教徒向けスーパーに立てこもり射殺されたアメディ・クリバリ容疑者(32)が少年時代に住んでいたフランスでも最貧困地区といわれるパリ南郊グリニ市を歩くと、住民から脅しや、嫌悪の視線をあびた。アラブ系や黒人などイスラム教徒ら約3万人が住む街には、社会からの偏見と貧困を背景に、若者の強烈な憎悪が渦巻いていた。
パリ中心部から南へ鉄道とバスを乗り継いで約1時間半。5階建てのアパートが無造作に並ぶ。レストランや商店は見当たらず、白人にも出会わない。パリ中心部から30キロも離れていないのに、まるで別世界だ。バスの運転手は「財布を手にした瞬間に強盗に襲われる。気をつけろ」と強くくぎをさしてきた。
ピザ配達さえ入ることができない地区−−。仏フィガロ紙がこう表現した現状を、オマールさんは話してくれた。「行政から見捨てられている。急患対応の医者や郵便配達も、治安が悪いからと来てくれない。火事が起きた時だけ消防がやってくる」。若者の未来も「がんばって大学を卒業し、就職先を探しても、出身地を書いた履歴書はゴミ箱に行く。不公平だ」と嘆く。
市場から戻る途中のドリスさん(43)は「イスラム教は暴力的ではない」と語り、イスラム過激派とイスラム教を混同する風潮に憤った。この地区には学校はあるものの教育は十分に行き届いていない。ドリスさんは「若者がイスラムの教えを十分に理解できる環境もない。だから、刑務所に入ると、イスラム過激派にすぐ感化されてしまう」と語る。
via. 仏連続テロ:クリバリ容疑者が育った街 渦巻く若者の憎悪 偏見と貧困、過激化を誘発
表現の自由をめぐり、日本国内では、テロは良くないという大前提の上で、表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか、表現の自由にも他者の尊厳という制限が設けられるべきではという批判的な意見がめだったそうです。(参考:3)実際、私の観ている範囲でもシャルリ・エブド紙のスタイルに否定的な意見はきわめて多い。しかし、品位の有無や好き嫌いともあれ、同紙の襲撃事件を受けてのパロディとして拡散した画像のように公人と私人の違いをはき違えていませんし、ネットで観るかぎり、政治家と聖職者、イスラム教、カトリック教会、そして、自分たちを祭りあげる今の風潮に対する反権威・反体制の透徹した姿勢は称賛に値するでしょう。
シャルリ・エブド紙の場合、表現の自由という西欧中心主義的な理想は、経営苦難と、過去20年間の48件の裁判沙汰(うち、勝訴は8件のみ)、火炎瓶によるオフィス全焼事件、そして、今度の12人射殺事件などを負うことにより、フランス国民や風刺対象の政治家たちに守られています。日本にここまで気骨のあるメディアが1紙でもあるでしょうか? そもそも、公共の場に批評を成立させることすらできない日本人が、フランス流の表現の自由を批判できる程に「他者の尊厳」を理解しているのでしょうか? 私には、他人の自由(異他性)を許容することに耐えられない弱い人間の恨み言にしかきこえません。
本来問題とすべきは、シャルリ・エブド紙の風刺画が旧植民地国ニジェールの暴動をはじめとする世界のイスラム教圏に強い反発を瞬時に呼んでいる事態です。わたしは表現の自由を支持しますが、それが西欧中心主義的、あるいは、地球中心主義的、すなわち、個別のローカルな文化圏の価値秩序を否定するものであることも事実です。もちろん、だからダメだというわけではなく、フェイスブックでEDM(エレクトロ・ダンス・ミュージック)の終焉問題で書いたように(参考:4)、光速の情報伝播がグローバルな文化・社会現象を産みだす時代では、ローカルな価値秩序を生きている人間とそうでない人間との溝が構造的に深まり衝突が過激化するばかりなのです。なにより、グローバルな自由の責任をフィジカルに負いうる主体が多くの場合存在しません。
ちなみに、フランスの移民人口比率11.6パーセントに対し、日本は10分の1以下、すなわち、1.1パーセントです。(参考:5)20年前、あるいは、50年前からのグローバリゼーションに国と文化を閉ざし続けている寛容な日本では、今の国際問題を議論することは無理だと私は思っています。必要なのは、基本的な想像力と情報能収集能力、そして、「自由」を生きる強さです。そのうえで、フランスの歴史学者エマニュエル・トッドの重要な意見を踏まえなくてはなりません。(参考:6)
シャルリ・エブドの関係者は今、複雑な思いでいるようだ。ジェラール・ビアール新編集長は、テロ後に同紙への支持を表明した人たちの矛盾を指摘する 。11年の火炎瓶事件など、これまで同紙が脅しを受けたときは、「反イスラム主義者、反キリスト教主義者、挑発者、火に油を注ぐ者、人種差別主義者と呼ばれ、自業自得だと言われた」と、銃撃事件後の特別号で書いている。
銃撃事件で殺害された風刺漫画家のシャルブは、12年にルモンド紙にこう語っている。「いま第1058号を作成している。これまで大騒動になったのは3回だけ。すべてイスラム教絡みだ。ローマ法王をコケにしても、せいぜい裁判を起こされる程度だった」
これからもイスラム教を風刺し続けるのか? シャルブはこう答えていた。「イスラム教がカトリック教会みたいな矮小な存在になるまではね」
via. 言論の自由と冒涜のはざまで|日本版ニューズウィーク
フランスで起きた風刺週刊紙シャルリ・エブド編集部の主劇事件は、シリア人のタレク・アルゴラニに大きな衝撃を与えた。
06年、アルゴラニはシリアで懲役7年を宣告され、悪名高いセドナヤ刑務所へ送られた。主宰する政治風刺ブログで、シリアのパシャル・アサド大統領による独裁体制を皮肉ったためだ。
11年に釈放された後も、ひるむことなく政権批判を続けた。だが仲間たちが殺され、シリアを離れる事態に追い込まれた。
政権批判を禁じる国では、ユーモアは「殺人」並みの脅威だ。アルゴラニと共に服役していた者の多くは、数百人もの犠牲者を出したテロ事件の犯人だった。政権を批判すれば、受ける罰は彼らと同じくらい重い。
「笑いは簡単ではないが、最高の意見伝達手段だ。面白いものは人を引き付ける。より多くの追随者を生み、(政府にとって)より危険になる」。アルゴラニはしばし黙り、こう自問する。「笑いとは何だ? 笑いとは、すべてだ」
11年に釈放されたとき、シリアでは民主化要求運動が始まったばかりで、血みどろの州は対立という悲劇の気配はまだなかった。拘束中の過酷な体験にもかかわらず、再び政権批判に乗り出さなければと感じた。このときに選んだ手段が、街角にメッセージや絵を描く落書きだ。
それは抵抗と希望の象徴だった。「40年以上まえから、シリア人はアサドとその父親の肖像しか見ていない。毎日、目に入るのはそれだけ。落書きはそんな状況を打ち破ることができる。街頭デモで参加者が打たれても、テレビ局は跡形もない現場を撮影して、何も起こらなかったと報じる。そこに落書きがあれば、自分たちはここにいた、彼らは大義のために死んだ、私たちは今もここにいると訴えることができる」
アルゴラニがシリアを去ったのは12年、再び当局に追われていることを知ったためだ。狙いはもはや逮捕ではなく、殺害だった。当初ヨルダンへ逃れたが、より安全な場所を求めてチュニジアへ移った。現在は「報道の自由センター」で働き、故国の惨状を遠くから見詰める立場に置かれている。
制限はあっても、シリアでの抵抗運動への参加は続いている。アルゴラニの最新作の型版は、イスラム教スンニ派テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の指導者、アブ・バクル、アル・バグダディの似顔絵。使ったのは、シャルリ・エブドに掲載された風刺画だ。「シャルリ・エブドとの連帯を表明したかった」
アルゴラニは訴える。「シャルリ・エブドのような新聞や雑誌も、風刺をやめてはならない。表現の自由のための闘いは今も続いている。すべての人のために戦わなければならない。誰かが書いたことが気に入らないなら、『それは間違っている』と書く。誰かに絵で攻撃されたら、自分も描き返す。そうすれば、暴力なしで前進できる。暴力は何も阻止できない。暴力は独裁者やテロリスト、恐怖をあおりたい人間のものだ。そんなことはさせない。僕たちは前へ進み続けなければ」
以下の文章は、ユニテリアンという実証的ないし合理的な知性でカトリックの教義を叩きなおした宗派を私(羊谷知嘉)が発見し、ライフハック哲学の秋織大郎さんがそれに応じて彼らの歴史をまとめてくださったものです。発見場所は、シンギュラリティで最近話題の発明家レイ・カーツワイルの著書。私は、カーツワイルの収穫加速の法則に強い影響を受けています。結論だけを先に書けば、個の信仰と知性は両立可能であり、それは、日本の素朴な寛容さではなく強靭な知性の克服のみが成し遂げられることなのです。
ホロコーストから逃れてきたわたしの両親は、いずれも芸術家で、子どもには、実際的で視野の広い宗教教育を施したいと考えた。それでわたしは、ユニテリアン派教会の教えを受けることになった。そこでは、半年かけたひとつの宗教について学ぶ。礼拝に出て、教典を読み、指導者と対話する。それが終わると、次の宗教について勉強する。「真理に至る道はたくさんある」という考え方がその中心にあるのだ。世界中の宗教の伝統には共通するところがたくさんあるが、一致しないとことも明らかにあることに当然気づいた。おおもとの真実は奥が深くて、、見かけの矛盾を超えることができるのだということが、だんだんとわかってきた。
ユニテリアン小史
・16世紀
ユニテリアンの系譜をさかのぼると、ミシェル・セルヴェの思想が起源にあります。
16世紀前半当時、己の良心と理性に照らして聖書を読むことを主張し、カトリックとプロテスタント双方から異端者扱いされたひとびとがいたのですが、セルヴェもそういった革新的な人文主義者のひとりです。最終的に友人のジャン・カルヴァンと論争し、彼の拠点であるジュネーブで火刑に処せられました。セルヴェは、三位一体が理性に反する誤謬だと主張したのです。
その後、反三位一体を標榜するひとたちがユニテリアン信条を持つポーランドの小改革派教会やトランシルヴァニアのユニテリアン教会を作りました。ちなみに、アイザック・ニュートンもまたユニテリアンに数えられるそうです。
・17世紀
この時期、反三位一体論の流れが「ソッツィーニ主義」として知られるようになります。
イタリアの神学者ファウスト・ソッツィーニが、1580年にポーランドの小改革派教会に指導者として迎えられ『ラコフ教理要綱』を書きました。これが、小改革派教会の神学の基準になります。ソッツィーニはキリストを模範的人間のロールモデルとして捉え直しました。
・17世紀から19世紀までのイギリス
『ラコフ教理要綱』がラテン語に訳されて英国で出版されたのを期にソッツィーニ主義が浸透していきます。『失楽園』で有名な詩人のミルトンは反三位一体論を没する直前に書き、哲学者のジョン・ロックも、1658年に宗教的少数者の権利を訴える寛容論を発表してユニテリアン主義を擁護しています。ユニテリアン主義者のジョゼフ・プリーストリーは酸素の発見で知られる自然哲学者ですが、1782年に『キリスト教の堕落の歴史』を書いています。
プリーストリーは、国教会牧師テオフィラス・リンゼイとイギリス初のユニテリアン教会を設立したのですが、非国教徒な上、フランス革命を支持したので暴徒に家を焼かれ、その後も続く迫害を避けてペンシルヴァニアに移住しました。そして、アメリカ初のユニテリアン教会を設立します。プリーストリーは科学者、政治哲学者、神学者、自然哲学者などなどさまざまな顔を持ち、日本ではあまり名は知られていませんが注目すべき万能型の才人です。
その後の英国でのユニテリアンは、ジェイムズ・マーティノウに組織化されたり、保守派と改革派に分かれたりと、現在まで続いているようです。
・17世紀から19世紀までのアメリカ
米国のユニテリアンはイギリスのそれとは独立して登場しました。
1620年にメイフラワー号に乗って渡ってきたピルグリム・ファザーズに、1629年に神の国を実現しようと渡ってきた人々が合流して「会衆派」という民主主義的な教会(教会員である会衆が教会運営の決定を行う)を形成します。米国ユニテリアンはここから生まれていきます。
まず、若者の教会離れなどが原因で2つのグループが生まれます。非合理性や突然の感情的な回心を重んじる保守派、理性こそが宗教的な成長には必要だとするリベラル派。後者は人間性を肯定し、道徳的、霊的、知的な成長を信じていました。両グループはしばらく共存できていましたが、ハーバード大学の神学教授職の選挙戦を発端に「ユニテリアン論争(三位一体か、神はただ一人だけかをめぐる論争)」が起こり決裂します。カルヴァン主義者とユニテリアン側の戦いで、セルヴェvsカルヴァンの再演です。結局、リベラル派が勝ってハーバードに神学部を設立します。
リベラル派は学部設立にあたり、ウィリアム・エラリー・チャニングの「ユニテリアン・キリスト教」という説教をマニフェストに定めます。チャニングは、自分のことは自分で責任を負い、神を愛し、神に倣い、人格を高めるよう努めるべきと考えていたようです。1825年にはボストンに米国ユニテリアン協会を設立し、同時に反発する人もまたあらわれてきました。たとえば、プラグマティズムの祖ラルフ・ウォルド・エマソンなどです。
ここからユニテリアンの諸子百家化が起こりひとりひとり意見が一致しなくなっていくのですが、レイ・カーツワイルの宗教教育を施したユニテリアン派教会にはフランシス・エリングウッド・アボットというラディカル派のユニテリアンが関係ありそうです。
アボットは、個人の魂の不滅を否定し、科学的有神論なるものを唱えました。言語学者・東洋学者マックス・ミュラーの比較宗教研究の成果を取り入れて個別の宗教すべてに通底する普遍的な宗教感情を重視したのです。アボットには教義の相違を超えて人類が共通の交わりをもてる「普遍宗教」という発想がありました。ちなみにアボットは「形而上学クラブ」のメンバー、すなわち、プラグマティズムの創始者たちに影響を与えてもいます。
ユニテリアンの特質
宗教思想史家の土屋博政氏は、すべてのユニテリアン教徒に共有される信仰箇条は存在しないと断ったうえで、英米圏のユニテリアンのサンプルとしてジョン・ライトとシェームズ・フリーマン・クラークの考えを挙げています。
英国ユニテリアンのジョン・ライトが1901年に著した『ユニテリアンが否認するもの、信じるもの』によれば、ユニテリアンは以下の7つを否定します。
- 聖書全てが神の霊感を受けているという信仰
- 神は、父なる神と子なる神と聖霊という3つの位格と1つの実体において存在するという三位一体説
- キリストが神の子であるという信仰
- 人は生まれながらにして罪を負っているという原罪信仰
- イエス・キリストが我々の罪のために身代わりとして十字架にかけられたと信じる贖罪信仰
- 悪魔の存在を信じること
- 永遠の刑罰があるという信仰
また、以下の7つを肯定します。
- 個人で判断する権利と義務があること
- 神の存在
- 神の愛と摂理
- 救いは自分で勝ち取る責任があること
- 人は全て自分の言動に対して、環境のせいにせず、自らの責任を負うこと
- 霊魂は不滅であること
- 人類は最終的に皆救済されること
「肯定する7つの点」では、ラディカル派は(F)と(G)に疑問を感じるそうです。彼らはキリスト教の枠組みを超えようとしているので(G)は掲げません。(F)を否定するラディカル派にはアボットがいましたね。また、社会改革派という一派は環境整備を重視するので(E)には賛成しかねるそうです。
ちなみにですが、日本の隠れキリシタンも原罪は信じていませんでした。聖書を書き換えています。隠れキリシタンの聖書ではアダムとエバが禁断の果実を食べたあとにゆるされているのです。私見ですが、彼らはキリスト教を呪術や神話の世界に押し戻したのではないでしょうか? 個や自己コントロールの観念がなかったように観えます。
一方で、隠れキリシタン同様、原罪や贖罪を否定したユニテリアンには、個の意識や理性への信頼が強くあります。
米国ユニテリアンの保守的なリベラル派であるジェームズ・フリーマン・クラークは、ユニテリアン主義を普遍教会に発展させよう、キリスト教の教義を自由主義化すれば普遍的になると考えていたそうです。『十大宗教』という比較宗教の研究所を書いていて、普遍宗教の共通点を探ろうとしたそうなのですが、土屋氏が指摘するには「リベラルなキリスト教的バイアスを持って他宗教を包括するもの」でした。
以下は、クラークの「ユニテリアン信仰五箇条」です。
- 神の父たること(土屋氏によれば、神の唯一性を示す当時の表現とのこと)
- 人間皆兄弟
- イエスが指導者であること
- 品格による救済
- 人類の無限の進歩
イエスはあくまで人間であり、ユニテリアンが常に強調している自己修練、個人的成長、楽観的な進歩思想が(D)と(E)に強く表れています。
こうしたクラーク流のリベラル・ユニテリアンの神学に対し、20世紀の大神学者パウル・ティリッヒは人間の「悪魔的な」性格を見抜く洞察力に欠けると批判したそうです。
ユニテリアンの意義
不必要なストレスを予防したり和らげたりするためには心や野性をある程度コントロールする必要があります。したいこと、すべきことをするためにも、怠惰や好き嫌いによる拘束をゆるめ、回避行動(嫌なものや状況を避けようとすること)や自分への言い訳、一時しのぎを減らさなければなりません。易きに流れず、自分の感情や認知フレームを器用に導いていくことは幸福度や生産性の向上につながります。
ユニテリアンのスタイルはこうした文脈から評価することができます。イエスを模範、教師としてとらえ、教条的であることを避けようとし、個の判断を重く見る態度は、人間の力への過度な信頼を招きうるとはいえ、学ぶべきものが当然あります。理性やロールモデル、自己コントロールといったものは古くさくダサく思われがちですが、依然有効なのです。
もちろん、プラグマティズムへの直接的・間接的な影響を与えているユニテリアンは、思想史的にも無視できない存在です。