11月22日、東京都内のシェアハウス・浅草橋ブレッドボードで、「未来のコミュニティ」をテーマとする哲学カフェを催しました。
わたしは、学問やアートや批評をもっと自由にする必要を感じています。それは、下手でも良い、何でもありだという前世紀後半のカウンターカルチャーの流れではなく、また、2000年代からのオンラインを中心としたアマチュア主義の素朴な肯定でもなく、むしろ、それらの表現のどん底から、内実のある学問を、アートを、批評を、もう1度、立ちあげなおすことを意味します。
何故それが必要かといえば、産業革命、世界大戦、情報革命以後の私たちの生活環境がある種の過剰さを帯びており、加速度的なイノベーションによる物事の新陳代謝のはやさが私たちの脳の古い部分を大きく凌駕しているからです。かんたんにいえば、わたしたちが創造的で、審美眼を持ち、幅広い教養をもてるだけの賢さを身につけないと、人類が築きあげてきた文明自体に容易に淘汰されてしまう現実が、前世紀半ばから既に起こっているからです。
そして、残念ながら、今の大学のようなものではお金を払っても何も教えてはくれません。
私自身は、数年間、継続的に哲学カフェを主催し、都内のファシリテーション勉強会にも参加し、他の方のイベントにも色々と顔をだした結果、種々の問題点はあるものの、哲学カフェのルールを「専門用語や業界用語を説明抜きで使わない」というところまで削ぎ落とせば、実践のフォーマットとしては有効だという結論に達しました。Facebookを活用し、開催場所の設備によっては、ほんとうに良い知識、良い音楽、美味しいお菓子を共有しながら、哲学カフェ、すなわち、自身の体験から出発し、建設的にかつ根本的に、思考と表現を積みかさねていくチーム活動ができるからです。
というわけで、今回の宣伝文です。
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哲学カフェとは、身分や年齢、性別、知識の違いに関わりなく、テーマに対する日頃の疑問から「そもそも論」に立ち返り、みんなで問いと思考をシェアし、積みあげていく、街場の対話イベントです。
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今回のテーマは、未来のコミュニティ!
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私たちは、世間と社会を生きる限り、いつも、何かのためのコミュニケーションと思考をもとめられています。
家族や友だち、知人、同僚とは、人間関係をなめらかにする、おもしろいネタと、愛想の良い相槌と挨拶が欠かせません。
職場や学校、家庭においては、生産性をあげて、生活の場や組織を切り盛りするための思考と努力が欠かせません。
しかし、私たちひとりひとりの人生は、そうした面に尽きるものではないでしょう?
そもそも、人間とは……
そもそも、宇宙とは……
そもそも、死とは……
日常生活と社交の場から、身を少し離して考えると、私たちはこうした事柄に対し、意外と、何も思い浮かばないか、教科書通りのアイデアでなんとなく済ましていることに気が付きます。
そしてすぐ、普段親しいはずの、恋人や、親友や、家族や、同僚が、そもそも、何をどのように考えて生きているのかさえ、全く知らないでいることに驚くでしょう。
哲学カフェは、自分自身もふくめ、どんな相手とも、新しいアイデアと新しい言葉を通し、たえず、新鮮な気持ちで出遭うための、哲学イベントです。
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【ルール】
・専門用語を説明抜きで使わない
以上!
要するに、ダサいことはしない。
自分の感じていること、悩んでいること、考えていることを、どんなにぎこちなくても時間がかかっても、相手にきちんと伝えて議論していきましょう!
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今回のテーマは未来のコミュニティ。
「未来」でも、「コミュニティ」でも、興味をお持ちの方はぜひお越しください!
たとえば、
・どこにいても自分の居場所だと思えない
・非モテの俺・私の将来が不安だ
・パートナーはいるが、「夫婦」にはなれないし、なる気もない
・というか、他人の気持ちがよくわからない
・コミュニティを必要としない生きかたをしてみたい
・日本の「ムラ社会」にはもうこりごりだ
・人類は、2045年には滅びるのでどうでもいい
などなど、なんでもあり(Anything Goes)です!
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そして、今回の音声記録です。
聴いていただければわかるとおり、未来のコミュニティをめぐる、個の自由や孤独、マルチ商法、オタサーの姫、オンライン・コミュニケーション、組織の健全さと腐敗の尺度など、今回の議論はたいへんに刺激的で、参加された方々からもひじょうに多くの満足された声が聞かれました。