海外生活で分かった日本人男性が世界で一番モテない理由wwww
日本にいる日本人男性のみなさん、女性をエスコートしていますか??
どうもみなさん、こんにちは。オーストラリアのニューカッスルで台湾人の女の子と3ヶ月暮らしてるまえちゃん@Maechan0502です。ぼくはこの1年間でオーストラリアに5ヶ月間住み続けていて、去年はフィリピンに3ヶ月間英語留学していました。そこで多くの台湾人、フランス人、そして韓国人友達と出会ったり、自分も台湾人の女の子に恋をしたんですが、彼らと比べてハッキリ気づいたことがあります。あ、オレ、女性に対して全然スウィートなことできないからモテないんだなと。
……痛い話です。ぼくは生まれて27年間何をやってたんでしょう?
しかしこのモテないと感じたポイントはぼくだけじゃなく、日本人男性に共通する点だと感じてます。なぜならぼくら日本人男性は全然レディーに対する気遣いができてないからです。今日はぼくが身をもって海外で気付かされた日本人男性がモテないと感じたポイントを、他の国の男性と比較して紹介したいと思います。そう、自分への反省の思いも込めて!!
via 海外生活で分かった日本人男性が世界で一番モテない理由wwww : 無内定速報-就活2chまとめ.
Facebookで友人がまとめ記事をシェアしていた。いわく、男性側も女性側もモテも非モテも好き勝手言ってるだけのような気がすると。記憶が確かなら、ハフィントンポスト経由でも以前拡散されていたので、記事じたいは既に見知っているひとも少なくないだろう。
レディファーストの文化に個人の好き嫌いはあるだろうし、本質的に調停不可能な是か非かの審美的ないし倫理的判断もあってしかるべきだろう。ただ、どんな問題にもいえることだが、現象を原理的な視点から観察し、把握し、検証し続けていかなければ、普通の意味での使える知恵にはなりえない。本来、数世代、数十世代の人間たちという篩から残りえたのが知恵であったが、今日の歴史的展開ではひとりの人間でそれをおこなう必要があるし、原理的にもできるはずだ。
というわけで、以下の引用は友人の投稿に私が書きこんだアイデアに少し手をくわえたもの。実用性に重きをおいてはいるが、歴史的な教養の厚みと観点を含みこまなければ実践的なものにはなりえない。あらゆる知の批評をツールという観点からはじめる必要性を感じる。
逆をいえば、自分が未だ解していなかった観点や個別の状況にあわせて適宜改良をくわえられる柔軟なものでなくてはならない。つまり、優れた知は、圧縮率と可塑性の高さによって特徴付けられる。
まず、エスコートの作法や習慣と、親密さを培うコミュニケーションはそもそもの原理が違います。前者は「公」であり、後者は「私」です。人工性ないし文化的洗練の問題と、自然性ないし感覚的交流の違いです。なので、モテるモテないの前に、TPOの問題として、人格的な品位の問題として、「女性」をエスコートする社交的な「男性」であった方が良いでしょう。これらが煩瑣で面倒だというのはたんに粗野な田舎者にすぎません。
問題が難しくなるのは、エスコートという文明的な作法には「女性を所有する」という歴史的な意味あいが根深くあり、これを嫌がる女性も少なからずいるということ。また、こうした文法を守る以上、根本的には多様で繊細であるはずの2者関係が社会的なセクシュアリティに制約されるため、個と個の親密さに何かいまひとつな感のすきま風が吹いてしまうことでしょう。(付き合いはじめれば話は別です)。
ですから、女性一般に対する基本的な振舞いの軸を、エスコートの文明性の側にあらかじめ少し高く設定しておいて、相手が「女性」として扱われたいひとなのか、そうでないのか、そして、両者の関係がどのようになるのが望ましいかなどを判断材料に個別に修正していけば問題ないとおもいますよ。また、どんな相手にも状況次第では必須の礼儀になることもお忘れなく。
コメントでは省いた女性側の知恵をあらたに記しておく。
本来、レディファーストは上流階級の貴婦人に対する振舞いの作法だと歴史的にはいえる。それを、今日的ないくつかの観点を含みこんでいえば、公では常に美しくあらんと心がけている文明的な人間への敬意であり、礼儀であり、称賛である。他のコメント者が書きこんでいた、「好きな人に嬉しい気持ちになってほしい」や「根っこの部分は結局のところ思いやり」という理解は根本的な原理を間違えている。
したがって、生物学的に女性であるという事実は、レディファーストの振舞いを求める根拠にはならないし、単に若いことも、顔だちが整っていることも、可愛いらしいだけのことも同様に根拠にはなりえない。この点をはき違えると、歳を重ねたときに深刻な問題を抱えることになる。逆をいえば、美人であろうとする限り、普通の意味での性別や階級、年齢、生まれつきの美醜を越え、審美的な価値観の基本を持つ者にとっては常に称賛に値し続けるだろう。
ただし、レディファースト問題をめぐるネットの反応や、近年のアイドルブーム、「負け美女」の流行などを鑑みる限り、現代日本における一般的な恋愛戦略としてはかえってマイナスに働く場合があることには注意が必要。難儀なことだが、真贋の別を問わず「美」を尊重する一定以上の階級コミュニティに属するか、物事の違いを原理的にわかるひとを探すことに意識的であることが、美人が生きやすくあるための重要なアイデアになるだろう。