Category Archives: 羊谷知嘉

反米・反欧感情の正体、イスラム国に外国人義勇兵はなぜ魅せられたのか?

国際問題としての[p2p type=”post_tag” value=”islamic-state”]イスラム国[/p2p]は、[p2p type=”post_tag” value=”america”]アメリカ[/p2p]軍の地上部隊派遣の決定後、中長期的な泥沼化のはじまりとともに終わりを迎えています。今後は、イスラム国の掲げた「国づくり」のアイデアと手法のコピーキャットが潜在的な問題となるでしょう。実際、イスラム国との連携を早くから表明していたアフリカ中部の過激派武装組織[p2p type=”post_tag” value=”boko-haram”]ボコ・ハラム[/p2p]には、メディア利用や地域統治などですでに動きの変化が見受けられることが報じられています。

世界の都市を問う「統治」と「自然環境」: 東京・ロンドン・ウォンバット

今日、都市を問うことはきわめて重要です。 ひとつには、都市が、群れや村を越える規模の大きさと社会集団の分業制と専門化という意味で、今日失われつつある文明性の本質を問うものであること。ふたつには、人、物、金、情報の集約地としてある種の過剰さを帯びてはじめてヒトに「懐疑」という特殊な知性原理をもたらしえたという意味で、イスラム教系の原理主義と独裁体制下の[p2p type=”post_tag” value=”state-capitalism”]国家資本主義[/p2p]が存在感をますなか、西欧的なるものとは異なる近代性の条件を問いうること。

信仰と合理的思考、ユニテリアンの歴史とシャルリ・エブド紙襲撃テロ事件

1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃テロ事件、1月20日の[p2p type=”post_tag” value=”islamic-state”]イスラム国[/p2p]による邦人人質の身代金要求と、遅まきながらようやくイスラム過激派をはじめとする宗教上の信仰と原理主義の問題が日本国内でも議論されはじめました。

日本の大学教育はなぜ腐敗し、抜本的改革が必要なのか?

現在、日本政府の大学改革の動きが一部世論のヒステリックな視線を集める状態が続いています。数日前も、Global型からLocal型への転換を検討する文科省の有識者会議の資料が炎上気味に話題になりました。今年8月からは、国立大学における人文社会系学科の解体の噂も継続的に飛び交っています。

グルメ批評と情報評価の難しさとは何か?

現代の日本では、何事に対しても批評という行為が公の言論空間から抹殺されていますので、幼児的な自己中心性を否定し、俯瞰的な「神」の視点を打ちたて、そのもとで自身を規律化し、固有の自己として、個人として、自由と責任を負いうる主体として、動物から人間に成熟するという知性の構成原理と価値判断の限界を論じることにはある種の徒労感を覚えます。しかし、小保方問題でだれもがわかったように、価値判断を敢えてしないという競争戦略は、個としても、組織としても、日本経済のようにかならず破綻します。

思想や芸術の「深み」とは何か?

思想や芸術、料理や格言、ひとの人格にも、私たちは時として「深みがある」と肯定的に評し、また、浅い、軽薄だと否定的に評します。しかし、この場合の物事の深浅とは、そもそも一体何にもとづいた価値基準なのでしょうか?