仕事と暮らしの統治術、ライフハック哲学は何故必要か?

人類は、文明史の黎明よりさまざまな物事に苦しんできました。[p2p type=”post_tag” value=”sumer-civilization”]シュメール[/p2p]法典をはじめ、アッカドや[p2p type=”post_tag” value=”egypt-civilization”]古代エジプト[/p2p]の文学作品をたずねるとそれがよくわかります。もっとも、苦しみ自体は自然環境に対する生物の適応の一つであり、生存の努力をうながします。しかし、都市が成立すると、ヒトは自然とは別の新たな環境に置かれました。ヒトのなかの「動物」がかつての意義を失い「誤作動」を起こすようになったのです。

たとえば、天敵に出会った際に生じるストレスには、戦うか、逃げるかの即断をうながす役割がありました。しかし、自然から文明社会に身を移すと、自分の命を奪おうとする敵はほとんどおらず、かつては有効だった[p2p type=”post_tag” value=”cortisol”]ストレス機能[/p2p]が空振りするようになります。実際、私たちの社会のなかでは嫌いな人物に会っても殺したり傷つけたりして撃退してはならず、しがらみがあれば会うことも避けられません。不必要なストレスは心身の健康を害し、慢性化・深刻化すると、パフォーマンスや幸福度を低下、時には自殺にもつながります。

もっとも、社会やその基礎である文明を否定すべき悪としてしまうことは建設的ではありません。文明の城壁を超え、進撃の自然に身をさらすことはいくつかの意味で、今更できないことだからです。

では、野蛮を回復して地べたに座り、好きな仲間とだけつるみ、感情を軸に判断して生活するというのはどうでしょうか? ストレスのみへの短期的な処し方としては中々よさそうです。しかし、長い目で見て、何の手も打たずに成り行きや社会や常識になんとなく幸福をまかせてしまうということは、ことに現在では下策であるように思います。他に何かやりようがあるのではないでしょうか?



出会う苦しみを減らし、出会った苦しみを和らげるためには自分のなかの「動物」の制御(様々な悩みを可能にした文明への再適応)が必要です。こうした文脈から、人類史に禁欲的な教えを説く人々が現れました。たとえば、仏教をひらいた[p2p type=”post_tag” value=”gautama-buddha”]釈迦[/p2p]ですが、彼は神秘的なものを当てにしませんでした。呪術や神話では、文明への適応を果たせないからです。南無阿弥陀仏や護摩で実際に解決できる問題は多くありません。焚き火をし、先祖に祈ったところで、辛い過去が消えるわけでもなければ他人との諍いから抜け出せるわけでもないのです。

好き嫌いを軸に行動することも、長い目で見て上策とは言えません。野菜を避けてラーメンばかり食べる人はすぐに体を壊して苦しみます(筆者自身、3食ラーメンを1週間近く続けてひどい風邪をひきました)。また、「新しい技術や知識を学ぶのは苦痛だ」と避け続ける人は、時代や社会環境の変化により不必要な損害を受ける可能性があります。自分の生身の衝動を克服していくこと、益体もないわがままに左右されず学ぶことも、実際に上手くやっていくためには必要なことです。

では、いったいどうすれば「動物」を器用に抑えられるでしょうか? 等身大、ありのままの自分を超えていけるでしょうか? 釈迦などの言う出家や遁世は、当時ならまだしも、現代でそれを敢行して遂げられる人が実際にどれだけいるのか疑問です。



文明、こと、現代文明に継続的に適応し続けるためにはライフハックが役立つと筆者は考えます。

多くの人は主体的ではなく、そこには、自分で自分を創出していくプロセス、原理や守るべきルールを見出してそこに従うプロセスがありません。これを経ていない人は、同調や模倣、素朴な感覚、すなわち、「動物」に判断を任せてしまいがちになりますが、各人によって気質、過去、状況や幸福の条件は違うので、事実上、他人まかせのなんとなくの判断では「この私」の苦しみを遠ざけられません。必要なのは、「この私(の目的や必要)」のために判断することです。しかし、自分自身のために判断する自分、そのような自分を形成していくプロセスを意識的に設けることはどのようにして可能なのでしょうか?

盲目的な自己愛によってではなく、自己配慮やそれにともなう避けがたい問題や欲望の自覚を通して、自分にとっての自分を周りから引き剥がしていく(個体化する)ことがまず必要です。個体化することを抜きにして、自己愛によらない自己、自己へめがける自己かつめがけられる自己はありえません。しかし、個体化は自己配慮によるプロセスであり、一挙に成るものでなければ終わるものでもなく、自己啓発書を読んだり、アドラー心理学を勉強しただけで個体化できるとはあまり考えられません。個体化すること、そして「動物」を制御し、自分の目的や問題や幸福にむかって機能するよう生活や自分自身へ働きかけていくためにはどうすればいいのでしょうか?

ライフハックを実践し、改善したり、ネットで調べて付け加えたり、そして新たに創り出すことが有効です。行いやすく、楽しく、また即効性があります。ライフハックを日々の礎や武器に何かをより知り、より行い、より解決し、より達成していくことの先には心理学で言われる自己効力感や自己実現なりがあるように思われます。

奇跡に頼る気もなく、変身もできない人々が苦しみやその慢性化に対処する際の取るべきスタイルとして、ライフハッカーの精神、自分にちょっとした実験や工夫をしてみるという生活態度はなかなか悪くないと思うのですが、どうでしょうか?

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仕事と暮らしの統治術、ライフハック哲学は何故必要か?
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秋織大郎のハックノート:古代宗教の起源には、呪術や欲望、神話的世界観の否定としての自己統治の実践がありました。自然環境、都市環境、情報環境のめまぐるしい大変転を生きている私たちに必要なのは、古代、中世の宗教実践者のノウハウをこの世に蘇らせる秋織大郎の「ライフハック哲学」なのです。
Author
羊谷知嘉